小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1371 映画「あん」・社会の片隅で ハンセン病回復者の生き方

画像「あん」はハンセン病(末尾に注)回復者の生き方をテーマにした映画だ。主要な登場人物は3人である。どら焼き店をやっている訳ありの男(永瀬正敏)、そこに放課後に通うかぎっ子の女子中学生(内田伽羅樹木希林の実の孫)、どら焼きのにおいに惹かれてやってきて、働かせてほしいというハンセン病回復者の高齢の女性(樹木希林)である。日本社会の片隅で一生懸命生きている人たちがいる。映画を見ての感想である。

  桜が満開の道の傍らにどら焼きの店がある。あまり流行っているようには見えないが、女子中学生が通ってくる。そこに高齢の女性がやってきて、時給は安くていいからアルバイトをさせてほしいと頼み込む。

  店長はちゅうちょするが、置いて行ったあんを食べて、そのうまさに驚き、女性を雇う。その女性は両手の指が変形しているが、粒あんの作り方は抜群にうまい。女性の指導でつくったあんを使ったどら焼きは評判となり、店は行列ができる。しかし、それは束の間のことだった。女性がハンセン病回復者だといううわさが流れ、客が来なくなって店は閑古鳥が鳴く。彼女もアルバイトをやめる。

  ハンセン病をめぐっては、スティグマという言葉がある。古代オリエントの言葉で牧場の牛や羊に所有者が付ける焼印を意味するが、それがハンセン病患者の人権無視、差別を象徴する言葉として使われている。ハンセン病という烙印を押された人々は強制的に隔離されたまま一生を送ることを強いられ、日本社会で人としての尊厳を踏みにじられていたのである。世界では依然、ハンセン病患者や回復者へのスティグマは続いている。

 どら焼き店で働く高齢の女性は、10代で発症し、強制隔離されて生涯を送った。どら焼き店で働くことは、彼女にとって楽しくて輝いた時だったのだ。訳ありの男とかぎっ子の中学生は、女性がやめたあと、彼女が暮らすハンセン病療養所を訪ね、その人生を知るのである。

  河瀬直美監督は、ハンセン病回復者のささやかな希望をどら焼きのあんに託した。しかし、スティグマによって女性の働く喜び、楽しみは奪われたのだ。女性が訪ねて行った2人に語った「誰にも生まれてきた意味がある」というつぶやきは重い意味持つ。

 

 

 注 ハンセン病とは

  ハンセン病は4000年前(紀元前2千年ごろ)のエジプト、中国、インドの古文書に登場し、日本では1300年前(8世紀前半)の日本書紀に百年前(7世紀前半)の出来事として白癩(皮膚にできる白い発疹)として記されるなど、古くからその存在が伝えられている。1873(明治6)年、ノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンが発見した、ライ菌によって起こる感染症であることが分かった。ライ菌は結核菌に似た菌(抗酸菌)で、結核菌よりも伝染力が弱いが、発症すると皮膚と神経が侵され、人によっては容貌が大きく変わってしまうため、人々に恐れられていた。

  1940年代から治療薬(プロミン)の開発が進められ、現在はWHO(世界保健機構)が多剤併用療法(MDT)を推奨、MDTを投与することによってハンセン病が完治することが実証され、患者発生数は減少傾向にある。国立ハンセン病資料館によると、世界全体で新規患者数は年間約22万人、日本人は年間0~数人程度である。1900(明治33)年当時日本人のハンセン病患者数は3万人前後といわれたが、現在は10人前後とみられている。13の国立療養所、2つの私立療養所で暮らしている元患者は約2900人だ。

  日本では長い間ハンセン病患者や回復者を苦しめた「らい予防法」が1996(平成8)年に廃止された。法律廃止後、鹿児島県と熊本県の2つの療養所の入所者が起こした国家賠償請求訴訟で熊本地裁は2001年5月11日、国のハンセン病対策の誤りを厳しく問う判決を出している。2010年12月、国連総会で日本政府などが提出した「ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」が全会一致で採択され、世界規模で元患者らに対する差別をなくす取り組みを促した。