小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1462 白鵬のアイデンティティーは 大阪のファンのブーイングに思う

画像

アイデンティティー」と言う言葉が一般的に使われている。日本語でいえば、やや難しいが、共同体への帰属意識ということだろう。大相撲春場所で優勝し、インタビューで涙を見せた白鵬の姿を見てこの言葉を思い浮かべた。優勝を決める日馬富士との対戦で、左に変わってあっさり勝った白鵬に対し、横綱相撲とはだれもが思わなかった。だから、大阪府立体育館相撲ファンは大きなブーイングを浴びせた。

 今回で優勝36回。今後だれもが追いつくことは難しい記録である。だが、白鵬の最近の場所は衰えを感じさせた。終盤になるともろさが出て、3場所連続して優勝を逃していた。その衰えを隠すように、今場所はできる限り早い時間に勝負する姿勢を徹底した。その結果、圧倒的と思える強さを取り戻した。

 その一方で荒っぽい相撲も目立った。かち上げといわれ、腕で相手の顎を突き上げる戦法が目立ち、張り手も常用した。そして、土俵を割った相手を土俵外に突き飛ばす、だめ押しも目に余り、審判部から注意を受けるほどだった。同じモンゴル出身の元横綱朝青龍に似てきたという声もある。

 白鵬はモンゴルからやってきて異文化の日本相撲界の頂点に立ち、前人未到の成績を残している。日本人力士ならとうに国民栄誉賞を受けてもいいだけの存在だ。だが、あまりにも強すぎるが故に、その言動に対し批判も少なくない。

 横綱は「心技体」を備えるのが理想だという。心も技も体も下の地位の力士の見本になれというのだ。 外国人の白鵬が日本人の心の深奥まで理解できるかどうか。それを求めるのは酷なのかもしれない。白鵬側からすれば優勝するために懸命に策を練っているのだろう。それが今場所のスタイルに表れた。そして横綱としての勝ち方が問題だとブーイングを受けた。大阪府立体育館に集まった人たちがみな敵になったような罵声だった。

 これはアイデンティティーの問題ではないかと、私は思うのだ。日本の伝統スポーツの頂点に立ったとはいえ、白鵬の心の中には故国モンゴルが大きな位置を占めているはずだ。彼にとって外国の日本で名前を残すには勝つしかない。それが最近の取り口に出たのだろう。

 白鵬の立場に立って考えると、四面楚歌の状況下で優勝することは、並大抵なことではない。それでも優勝を手にしたのだからただ者ではないし、優勝後の涙はそれを乗り超えた31歳の外国人横綱の思いを感じ取った。好き嫌いは別にして、白鵬は相撲界でまだしばらく大きな存在であり続けるのではないか。