小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1499 古代ハス咲く白水阿弥陀堂  平泉ゆかりの国宝建築物

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 全国に阿弥陀堂は数多い。阿弥陀如来を本尊とする大小のお堂は身近なものになっている。美しい阿弥陀堂としてよく知られている福島県いわき市内郷の「白水(しらみず)阿弥陀堂」を見る機会があった。真言宗智山派の願成寺にあり、建築物としては福島県で唯一、国宝に指定されている。東日本大震災で傷んだ重文の阿弥陀如来像も修復され、優しい眼差しで人々を見つめていた。    

 白水阿弥陀堂は、建造物としては福島県で唯一の国宝(仏像としては会津勝常寺の薬師三尊像が国宝に指定されている)だ。1160(永暦元)年、鎮守府将軍藤原清衡の娘、徳姫が故郷である平泉・中尊寺金色堂を模して、亡き夫で岩城の国守、岩城大夫則道の冥福を祈って建立したといわれる。 

 寺伝によれば、白水という地名は、平泉の泉を分字したものだ。 建物が国宝のほか阿弥陀如来像と両脇侍の観世音菩薩(ぼさつ)像、勢至菩薩立像を含めた「阿弥陀三尊像」など、国の重要文化財に指定される5体の仏像が安置されている。2011年3月11日の東日本大震災では仏像にひびが入り、修復されたという。

 現在、古代ハスが開花している浄土庭園も国指定の史跡である。ハスの一部は岩手の世界遺産中尊寺金色堂から出土した800年前の種から発芽したものを2001年に株分けしてもらったもので、そのため「古代ハス」という呼び方もされている。古代ハスといえば、大賀ハスだ。こちらは、千葉市検見川の東大農場(現在の東大検見川総合運動場)から発掘したもので、発見者の植物学者大賀一郎の名前が付いたハスは株分けして各地の池で今の季節に華麗な花を開いている。

 仏教に関する本によると、平安時代後期には、末法思想と相まって極楽浄土への憧憬が高まり、ことに貴族を中心に阿弥陀堂の建立が相次いだ。阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主であり、梵名を「アミターバ、アミターニス」といい、「アミ」は量ることができない無量、無限の意味で、阿弥陀如来の光は無量で十方の国々を照らすことから、無量光如来ともいい、寿命が無量なので無量寿如来とも呼ぶ(田中義恭『面白いほどわよくわかる仏像の世界』日本文芸社)―という。

 この阿弥陀堂の国宝指定(文化財等データベース)は1952年(昭和27)3月29日で、その前に1902年(明治35)7月31日付で重要文化財(当時は国宝だったが、法律改正で重文とされた)に指定されている。明治30年代、全国の仏像や寺社建築物の国宝指定のため、専門家が全国を回っている。

 この阿弥陀堂にも東京美術学校教授の六角紫水らが訪れ、建物と仏像を鑑定している。 紫水の日記によると、内務省の依頼で出張し、明治35年8月4日朝の上野発の磐城鉄道(現在の常磐線)に乗って綴止駅(現在の内郷駅)に午後2時に到着、ドロンコ道を阿弥陀堂まで歩いた。帰りは石炭運搬用のトロッコに乗り駅まで行くと、10分前に汽車が出ており、しばらく休んで荷物列車に平駅まで向かった―ことが書かれている。そんな一日を振り返って、紫水は「きょうは石炭となり、また荷物となってしまった。昨今では一番の珍事だった」(現代文に意訳)と述べている。

 100年前のこんな話を思い浮かべながら、夏の強い光に包まれる阿弥陀堂を眺めた。隣の広場の東屋では地域の老人たちがおしゃべりに興じていた。すぐ近くの木にはでこぼこの形をした果実がついている。老人たちに聞くと「あれはコブシだよ」と教えてくれた。

 この老人たちも大地震原発事故に震えたのかもしれない。あれから5年、平和の光景がここには戻っている。同じ浜通り地方でも、北に行くに従い原発事故の影響は深刻で、平和な光景は消えてしまったままだ。

 蓮の香と光が包む阿弥陀堂 遊歩

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  1404 維持してほしい風情ある姿 2つの小さな仏堂