小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1360 人生の特別な一瞬 心に残る風景

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 叙情詩で知られた詩人の長田弘さん(75)が亡くなった。本棚にある長田さんの詩集『人生の特別な一瞬』晶文社、2,005年)を取り出して、読み直した。この中に「もう一度ゆきたい場所」という詩がある。小学校と中学校、そして高校のことを書いた詩で、読む者に望郷を感じさせる。まず詩の全文を紹介し、後半では長田さんの出身地である福島県の元小学校校長の心温まる話を書いてみる。

 

「もう一度ゆきたい場所」

   かなわないと知っている。けれども、もう一度行きたい場所は、

 もう二度とゆくことができない場所だ。

 学校。丘の段々ごとに校舎が分かれていた、丘の上の最初の小学

 校。

  まわりぜんぶ林檎畑にかこまれていた、転校していった小学校。

 中庭にはおおきな池が、校庭にはおおきな藤棚があった、卒業した

 小学校。

  外壁の独特の横板がうつくしかった、古い木造校舎の中学校。そ

 して、ひときわおおきな欅の木がおおきな枝々をいっぱいにひろげ

 ていた、長い長い板張りの、木の廊下のつづく高校。

  いまでも、そのときその学校でおなじ季節を親しく共にした一人

 一人の顔を、鮮明に、少年たち、少女たちの表情のままに覚えてい

 る。

  学校ほど故郷のイメージを叶える場所は、たぶんないのだ。しか

 し、どの学校も、いまはただ、記憶の中にしかなくなってしまった。

  たとえ同じ場所にあっても、校舎はいくども建て替えられて、

 まったくちがう。あるいはおなじ学校であっても、学校の場所その

 ものが別の場所に移っていて、まったくちがう。

  日本の気候は建物におそろしくきびしい。どんな雨仕舞に注意

 しても、長い年月、雨水と湿気をしのぎきることはできない。じぶ

 んの幼年時代がそこにある学校の校舎が、いまもそっくりそのまま

 のこっているなら、それは僥倖にすぎないのだ。 

  かなわないと知っている。けれども、もう二度とゆくことのでき

 ない場所が、もう一度ゆきたい場所だ。

 

 長田さんは天国へ向かう旅の途中、かつての学び舎を見に行ったのかもしれない。

  次は、元小学校校長の知人の話である。

  知人は2013年3月に定年で福島県での教師生活にピリオドを打ち、アジアの少数山岳民族地域で学校を建設している東京のNPOで働いている。知人は最近、小学校の教師時代の教え子たちの同級会に参加したという思い出をフェースブックに書いている。

  同級会は阿武隈山系の山の中にある福島県石川郡(当時は東白川郡古殿町立山上小学校時代の教え子たちが開いたもので、知人は33年ぶりに45歳になった教え子たちと再会した。かつての山上小は統廃合でなくなり、現在は民間の縫製工場になっているという。

  知人は山上小で3年間13人の子どもたちの担任をした。教師生活のうち17年間学級担任をしたが、3年間持ち上がりの学級だったのは山上小だけであり、思い出も深いのではないだろうか。

  同級会に参加したのは6人の教え子で、知人がゲンコツを振り回した話や羽子板でたたいた話など、知人にとって冷や汗ものの話も多く出たという。そんな思い出話に花が咲く中、知人を驚かそうと学級全員で教室を脱走して別の教室に隠れた事件のことが話題になった。それは以下のような内容だ。

  だれもいない教室。だが、知人が何も感じない様子でいきなり授業を始め、めあて(課題)を黒板に書き始めた。そんな知人に子どもたちは拍子抜けし、どうしてよいか分からなくなり、数分後に叱られることを覚悟して全員で教室に戻り、着席した。

  すると知人が「みんなが心を一つにして、学級として同じことに取り組んだことはこれが初めてです。先生は、とても嬉しい」と話したというのである。教育のことは門外漢でよく分からないが、「誉めることが大事だ」と聞く。だから、子どもたちには忘れることできない素晴らしい思い出なっているのだろう。

  こんな話も出た。休み時間に黒板に向かって何か書いている知人の後から、教師用のコンパスの針で知人のお尻を刺したという男の教え子が当時のいたずら話を披露したのだ。

 突然のできごとに「痛い!」と叫びながら振り向いた知人はそのまま職員室に向かった。数人の男の子たちが心配になり、校庭から窓越しに職員室を覗くと、知人が右手をお尻に当てて歩いていた。そして窓越しに覗いている子どもたちに気づくと右の手のひらを子どもたちの方へ開いて見せた。手のひらは真っ赤で、お尻から血が出ているのではないかと思った子どもたちが驚きの声を上げると、知人は左手に持った赤いマジックを見せて、にっこりと笑ったというのだ。

  いたずらに対し、ユーモア精神で応じた若い教師時代の知人を想像し、愉快になった。

  知人は、こうしたエピソードを紹介したうえで「年齢の近い若い時代の教え子たちは、年月が過ぎると、同じ時代、同じ学校生活を一緒に過ごした仲間です。でも、今でも、師弟の関係は、しっかりと意識されていたようにも感じた同級会でした」と書いている。知人と教え子たちにとって、今回の集まりは「人生の特別な一瞬」だったに違いない。

 写真 散歩コースにことしも咲いた野ばら 知人の話を読んで、「野ばら」(ゲーテの詩)の歌を思い出している。