小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1338 雛の家が見える海の町 勝浦の風物詩に誘われて

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 高浜虚子に師事した原石鼎(はら・せきてい)は「雛の家ほつほつ見えて海の町」という句を残した。「ほつほつ」というのは、物事が少しずつあるいは徐々に行われる様を指す副詞である。

 千葉県勝浦市はまさに雛が見える海の町である。いまこの町の風物詩ともいえる「かつうらビッグひな祭り」(2月20日から3月3日までの日程)が開催中で、驚くばかりの多くの雛がさまざまな場所に飾られていた。

 勝浦市を挙げての雛祭りは、ことしで15回目になる。雛祭りでは先輩の和歌山県那智勝浦町から雛人形7000体を譲り受けて2001年(平成13)に初めて開催して以来、全国から続々と雛が寄せられ、ことしも約3万体の雛人形が多くの観光客の目に触れている。

 中でも圧巻なのは、高台に完成したばかりの「勝浦市芸術文化交流センター」(Küste(キュステ)の「日本最大の享保雛」とホールに並んだ4700体の段飾り、勝浦朝市の一角にある遠見岬神社の60段の石段に並べられた1200体の段飾りだろう。

 このほかにも興津会場を含めて市内のあちこちで大小さまざまな雛が飾られていて、勝浦の町全体が華やいだ雰囲気だ。センターでは御殿雛、平飾り雛、木目込雛、吊るし飾りといった珍しい雛と雛祭りの掛け軸も見ることができる。珍しい掛け軸のコレクションの展示をした店があったことに驚く。

 雛祭りは桃の節句ともいい、雛に桃の花を飾り、白酒や菱餅、あられをそなえて3月3日に女の子の息災を祈る行事だ。人形で体の穢れを祓い、川に流した上巳の日(5節句の一つで3月3日)の祓いの行事に雛遊びの風習が組み合わさったもので、豪華な内裏雛は江戸時代から発展したという。

 町ぐるみの雛祭りは、勝浦以外でも各地で開催されており、全国でこの時期目に触れる雛人形はおびただしい数になるだろう。 雛祭りを歌った童謡として「うれしいひな祭り」(サトウハチロー作詞、河村光陽作曲)が知られている。だれでも聞いたことがある歌だ。4番まである詞のうち2番と3番について、ちょっとした解釈があることを新聞(朝日)で読んだことがある。

 ・2番 お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔 お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔 ・3番 金のびょうぶに うつる灯を かすかにゆるす 春の風 すこし白酒 めされたか 赤いお顔の 右大臣 解釈は2つあり、その1つは2番の「お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔」の部分は、結婚が決まった直後に結核のため18歳で亡くなったサトウハチローの姉のことをしのんだもので、実はこの歌はレクイエムの意味があるという説である。

 もう1つは詞の間違いだという。2番の「お内裏(だいり)さまとおひな様」とある部分は、正しくは男雛(おびな)と女雛(めびな)で、内裏雛は男女の人形一対を指す。3番の「赤いお顔の 右大臣」は「左大臣」が正しいのだ。歌詞の間違いをサトウハチロー自身も気にしていて、サトウ家ではこの歌の話はタブーで、ハチロー自身、この歌を捨ててしまいたい」と家族に語っていたという。

 生前、この季節になると恥ずかしさのため苦しみ、愛煙家として知られたサトウハチローのたばこの本数が増えたのだろうと想像する。

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ビッグひな祭りを訪ねて 春近い東の勝浦へ