小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1413 棚田の夜景 鴨川・千枚田を訪ねる

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 千葉県鴨川市の高台にある大山千枚田という棚田で開催された「棚田の夜祭り」を訪ねた。傾斜地にある水田のことを棚田といい、日本だけでなく、世界各地に存在する。フィリピン・ルソン島の「コルディリェーラの棚田」(世界文化遺産)やベトナム北部の「ホアンスーフィー棚田」(ベトナム国家遺産)は世界的にも有名だ。

 日本の数多い棚田のうち大山千枚田は、幻想的な夜祭りで次第にその名が知られるようになってきた棚田である。 現在、世界遺産ルソン島の棚田は若者たちが村を離れて行き、3割の棚田が後継者不足のため耕作放棄地となって荒廃が進んだとして「危機遺産リスト」に登録されている。

日本国内に数多く存在する棚田も、耕作放棄地が増加し、美しい景観が消えつつある。大山千枚田も例外ではなかった。背景には米余り、傾斜地で大型機械が使えないため作業効率が悪い、農家の後継者不足がある。

 ここは鴨川市からの委託でNPO大山千枚田保存会が運営しており、現在、3ヘクタールの傾斜地に大小375枚の雨水のみで耕作する天水田がある。農水省は1999年7月、農業収入、兼業だけで棚田を維持するのは困難として観光地化を目的にした「棚田百選」(117市町・134地区)を発表、千枚田もその中に選ばれた。

 棚田オーナー制度も進めており、耕作・収穫体験ができる。2007年からは棚田の畔に松明を立てる「棚田の灯り」(1回目は4月29日に開催)のイベントが始まり、年々見物に訪れる人が増え、ことしは3000本の松明(燃料は廃油から作ったバイオディーゼル)と1万本のLEDが灯され、鴨川の秋の風物詩的存在になっている。

 千枚田鴨川市郊外の高台にある。車は進入禁止となり、市の総合運動施設の駐車場からシャトルバスで約20分かけて現地に着いた。日没まで時間があるが、既に棚田の畔には松明が燃えていた。日没になると、オレンジ色の松明の灯りと自動発光のLEDが幻想的な光景をつくり出した。棚田中央の野外特設ステージでは三味線と和太鼓の演奏が続いている。訪れた人たちは、三脚を使ってカメラを構え、思い思いにシャッターを切っている。多くの傑作が生まれたに違いない。

 私は以前、兵庫県中央部の神崎郡市川町で棚田の再生のため行動をしている永菅裕一さんという青年と出会った。永菅さんは大学4年生の時、卒業研究の一貫で同県香美町に行き、地滑り地のあとに作られた「うへ山の棚田」を見た。夕暮れ時で、棚田が赤く夕日に染まり美しかった。

 そのとき農家の人から「後継者がいないために、このままではあと5年でこの棚田がなくなってしまう」と聞き、大学で棚田保全・再生活動のためのサークルをつくり、大学院を出てから農家で研修をしたあとNPOを創設し、地元の市川町の棚田保全の活動を続けている。

 永菅さんは棚田を次世代に残したいと思いながら活動を続けているという。 私の故郷にも棚田があった。しかしその棚田も減反政策や人手不足の結果、いつしか雑草が生える耕作放棄の荒れ地になってしまった。妥結したTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は、日本の農業に大きな影響を与えることは間違いないだろう。

 千枚田のように、観光に活路を見出した棚田もあるが、永菅さんの思いは別にして、棚田の行く末は険しいのではないか。

 写真 1、鴨川千枚田の夜祭りで、棚田に灯された3000本の松明の1万本のLEDとの灯り 2、夕暮れ前の千枚田 3、幻想的な棚田の夜景 4、5、花火と松明の灯り

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968 棚田にて ある青年との出会い