小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1745「美しく花開くためには」 続・坂の街首里にて(5)

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「むせび哭く み魂の散りしか この丘に かすかにひびく 遠き海鳴り」――悲しみを歌ったこの短歌があるのは、沖縄県糸満市摩文仁平和祈念公園だ。この公園にはこれまで何度か足を運んだ。しかし、高台にある各都道府県の碑には初めて行った。そこは私たち以外には人影はなかった。遥か遠くに神が宿る島といわれる久高島が見えた。  

 平和祈念公園には、シニアボランティアが担当する1人100円の電動カートがある。説明を聞きながら、園内を回った後、再び高台まで歩いた。そこで「福島の塔」にある冒頭の歌を見た。私の父はフィリピンで戦死し、遺骨は戻っていない。「福島の塔」には「われわれ福島県民は 第2次世界大戦後21年にあたり 祖国の繁栄と平和を祈って 大戦時海外において祖国に殉じた本県出身者6万6千余柱の英霊につつしんでこの塔を捧げます」と記されていた。私はこの塔に合掌しながら、フィリピンに眠る父を思った。  

 さらに歩を進める。「島根の塔」と「ひろしまの塔」の碑には短い言葉が記されていた。 「島根」  美しく花開くためには  そのかくれた根のたえまない  営みがあるように  私達の  平和で心静かな日々には  この地に散ったあなた達  の深い悲しみと苦しみが  そのいしずえになっている  ことを思い、ここに深い  祈りを捧げます 「広島」  海を渡り また 海を渡り  郷土はるかに 戦って還らず  沖縄に散り 南方に散る  護国の英霊3万4千6百余柱  ここに とこしえに 鎮まりませば  ふるさとの 妻子 父母 老いも若きも  海を渡り また 海を渡り  ここに もうでて み霊安かれと  祈らざらめや 祈らざらめや  

 第2次大戦終結から74年。世界は再び、おかしな方向へと向かっている。隣国の韓国とは最悪に近い状況だ。両国の間には互譲の精神はない。韓国海駆逐艦海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射したとされる問題は、感情的対立がヒートアップしている。こうした時こそ冷静・沈着な政治姿勢が必要なのだが……。  

 平和祈念公園の高台には、沖縄戦を指揮した第32軍司令部関係の碑があった。自決した牛島満大将、長勇参謀長ら軍人は沖縄の民衆を巻き込み、多大な人命を犠牲にした重い事実は、第2次大戦史から消えることはない。公園には「韓国人慰霊塔」もあり、韓国人家族と思える人たちが足を運んでいた。ここに来る人たちは、誰もが平和を望みながら慰霊塔に手を合わせている。(続く)

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写真 1、平和の火 2、シニア運転の電動のカート 3、福島の碑 4、平和祈念公園の全景