小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1230 「躑躅の花で山が燃えるよう」 難しい当て字の話

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 近くの泉自然公園千葉市若葉区)に行くと、山躑躅ヤマツツジ)の花が満開だった。華やかで、躑躅がある一帯は燃えているような錯覚に陥った。それにしても、躑躅という字は難しい。あまりに難しいので、平仮名かカタカナで書くことが多いのではないか。

 杉本秀太郎著「花ごよみ」(講談社学術文庫)には、次のような解説が載っていた。  こんな難しい字をツツジと読むわけについて、馬琴(南総里見八犬伝の著者、曲亭馬琴滝沢馬琴)の俳諧歳時記『栞草』に、 羊、この花をくらえば躑躅(てきちょく)して斃れ死す。故に、しか云う。一説に、羊の性、至孝なり。この花の赤きつぼみを見て母の乳と思ひ、躑躅して膝を折りてこれを飲む。故にしか云う。 (毒のあるつつじの花を羊が食べ、もがきうずくまって死んだという言い伝えがあり、その状態を表わす「躑躅」という字を植物の躑躅にも使ったという。一説には、羊は親孝行で、躑躅のつぼみを母親の乳頭と思ってうずくまって膝を折り、乳を飲もうとしたため、この字を使うようになったという説もある。現代訳、筆者)

 こんな俳句がある。「天鵞絨(びろうど)の牛うつくしや躑躅原(つつじはら)」。倉坂鬼一郎の「元気が出る俳句」(幻冬舎新書)によると、芭蕉と同郷の伊賀上野生まれの西澤魚日の句だ。倉坂はこの句について「芭蕉とは比較にならないほどマイナーで生年も不詳だが、画家のようなまなざしも感じられる。

 この句の赤と黒の艶やかなコントラストは洋画をも彷彿させる。躑躅畑の赤い広がりのなかで、黒光のする牛がゆったりと草を食んでいる―世界の美しい広がりが伝わってくる隠れた名句」と感想を書いている。

「天鵞絨」は、ポルトガル語の「veludo」(ビロード)の中国語の当て字で、音読では「てんがじゅう」。「天鵞」は白鳥、「絨」は毛織物や柔らかい糸のことをいうので、光沢のある柔らかい糸という意味のようだ。石川啄木は、「天鵞絨」という小説を書いている。地方から東京に行き、3日間だけ女中(お手伝い)をして帰る女性の話で、天鵞絨の襟がついた掛け布団が出てくる。柔らかくて手触りがよく、光沢のある布団の襟は当時としては珍しかったのだろう。

 1989年11月17日、チェコソ連共産党支配から抜け出した民主化革命が成功した。劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル指導の下、大きな流血が伴わずに民主化が実現したことから、柔らかな天鵞絨の布に譬えてビロード革命といわれたことも記憶に新しい。

 この記事はパソコンで書いている。したがって、躑躅も天鵞絨も簡単に変換できる。これを手書きするとなると、最初は辞書を見ながらやらないとできないだろう。山躑躅の花から話が飛んだが、言いたいのは、言葉は奥が深くて面白いということである。

 山躑躅燃えていのちが輝けり

 写真 1、泉自然公園の山躑躅 2、サトザクラ 3、芝生の広場に生えたタンポポ 4、遊歩道はサトザクラの花びらが敷き詰められた 青空文庫石川啄木著・天鵞絨 http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/4103_9484.html

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