小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1640 ヤマザクラに登った少年時代 被災地も桜の季節

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 満開の花のことばは風が言ふ 俳誌「沖」の編集長だった林翔の句である。

 この句からは、満開になった桜の花が風に吹かれてざわめいている光景を思い浮かべることができる。4月になった。部屋のカレンダーをめくったら奈良・吉野山の風景が広がっている。吉野の桜も風に吹かれ、ざわめいているようだ。  

 田中秀明著『桜信仰と日本人』(青春出版社)によると、吉野山には約10万本の桜がある。その種類は日本中で圧倒的に多いソメイヨシノではなく、山野に自生していた野生品種のヤマザクラだという。ソメイヨシノは花が散った後に葉が出てくるが、ヤマザクラは開花と同時に葉が出るのが特徴で、花弁は5枚である。京都や奈良ではヤマザクラこそが桜と思っている人が多いようだ。

 水上勉は、桜の保護のために生涯を送った庭師を主人公とした『桜守』(新潮文庫)の中で、桜研究者に「ソメイヨシノは最も堕落した品種であり、本来の日本の桜はヤマザクラサトザクラである」と言わせている。  

 私にとって幼いころの桜の思い出も、実はヤマザクラだった。生家の裏山には大きな1本のヤマザクラがあったからだ。4月の中旬ごろになると、ヤマザクラが登下校する私を見守ってくれるように、咲き誇っていた。ヤマザクラは寿命が長く、樹齢数百年というものも珍しくはないという。裏山の1本も樹高が30メートル近い大木だったから、かなりの樹齢だったに違いない。  

 やんちゃだった小学校高学年のころ、この木に登ったことがある。てっぺん近くまで登ると、富士山が見えると思い込んでいたのだ。生家は関東に近いとはいえ東北地方なのだから富士山は見えなかった。だが、高い位置から見た、新緑に包まれた周辺の風景は私の目に焼き付いた。このヤマザクラは後に倒木の危険があったため伐採された。だが、その根元から出てきた蘖(ひこばえ)が次第に育ち、昔ほど目立つことはないが、開花するほどに成長した。

 自然界の生命力は強いのである。  東日本大震災の被災地の動きを取材し続けている仙台在住の友人松舘忠樹さんのブログ「震災日誌in仙台」にも、桜の話が紹介されている。例えば2011年11月8日には「 鎮魂と地域再生のシンボルの花を咲かせよう~大山桜を植える」が、2014年4月18日には「東松島市野蒜 ”鎮魂”の桜満開に~地域誌・「奥松島物語」が地域再生を後押し」という記事が、2015年6月20日には「七ヶ浜町 ”野生種の桜で地域を元気に!”  学習塾で桜の種とり、種まき学ぶ」という記事がある。

 このブログを読むと、桜が被災地の人々を慰め、生きる力をもたらしてくれる存在であることを実感する。間もなく、ことしも被災地に桜の季節が巡ってくる。

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 写真 近くの泉自然公園の桜とカタクリの花

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