小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1212 南米の旅―ハチドリ紀行(1) 4万キロ、10回の飛行機乗り継ぎ

画像

 南米に行ってきた。往復4万キロ、飛行機を計10回乗り継いだ旅は、決して楽なものではなかった。それでも心に残る風景や人に出会った。スケールの大きい自然と歴史の驚異に接し、疲れも忘れた。南米・アマゾンには「ハチドリのひとしずく」という言葉がある。南米の象徴ともいえるハチドリをサブタイトルとして、今回の旅の模様を記すことにする。

 ハチドリは米国からアルゼンチンにかけて生息する、鳥類の中でも最小に属する鳥だ。ブンブンハチのような羽音を立てるため、このような名前が付けられたという。アマゾン地域には「ハチドリのひとしずく」という言い伝えがある。それはこんな内容だ。

「森が燃えていました。森の生きものたちはわれ先にと逃げていきました。でも、クリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり。口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。動物たちがそれを見て、そんなことをしていったい何になるんだ、といって笑います。クリキンディはこう答えました。私は、私にできることをしているだけ」(辻信一訳・ハチドリのひとしずく~いま、私にできること・光文社刊より)―。

 この話は、自分ができることを自分なりにやるというボランティア精神の基本の考え方といっていい。 今回の旅でハチドリを見かけたのは、世界遺産になっているペルーの古都クスコの町の一角だった。何種かいるうちの「ミドリハチドリ」の一羽が博物館になっている旧サント・ドミンゴ教会の庭の樹に止まり、時折飛んだりしていたのだ。その姿を見ながら、私は「ひとしずく」の話を思い出していた。

 現地は3月12日。この1日前の3月11日は東日本大震災の3周年の日であり、私は世界遺産になっている「マチュピチュ遺跡」を訪れていた。大震災では被災地に多くのボランティアが入り、いまも地道な活動を続けている。それは、ハチドリのひとしずくの精神そのものといっていいだろう。

 旅のスタート(3月5日)と終わり(3月15日)の成田―米国ロサンゼルス間を、マレーシア航空機を利用した。3月8日、マレーシアのクアラルンプールを出発し北京に向かったはずの同航空機(乗員、乗客239人、ボーイング777型機)が消息不明になっていることは、インターネットで知った。同型機だけに不安な思いで帰りの機中の約12時間を過ごしたのは私だけはなかったようだ。

 それにしても、多くの人が乗った飛行機はどこへ消えたのだろう。謎が解き明かされることはあるのだろうか。 この世には謎は付き物だ。マチュピチュの遺跡もその一つである。詳しくは後に触れるが、マチュピチュ遺跡を見ている最中、同行者のカメラの前に突然蝶が姿を見せた。それはまるで私たちに「この遺構の謎を考えてください」とでもいうような悠然たる飛び方で、同行者の間でひとしきり話題になった。

 4万キロの旅と書いたが、かつて日本から南米各地に移住した「移民」の人たちは、1カ月半の船旅とさらに列車で長い時間を送り、ようやく入植地にたどり着いたという。それを考えれば、飛行機で比較的短時間に長距離を移動できるのだから時代は大きく変わったといえる。しかし、やはり南米は地球の裏側であり、遠い地の果てという印象が消えない。故郷を離れこんな遠くまでやってきた移民の望郷の思いは強かったのではないか。

(今回の旅の目的はマチュピチュのほかブラジル、アルゼンチン国境を流れるイグアスの滝、ペルーのナスカの地上絵を見ることであり、訪問した国はブラジル、アルゼンチン、ペルーとパラグアイの4ヵ国だ。次回はイグアスの滝について書く予定)

 蝶ひらり天空の城悠然と(マチュピチュにて) 2回目はコチラから

 写真 1、ハチドリが住むアマゾンの森 2、クスコの街角で見かけたハチドリ 3、ミドリハチドリ(ウィキペデアより)

画像
 
画像