小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1192 冬の日の東京タワー 富士山隠す寒の靄(もや)

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 東京タワー(高さ333メートル)が1958年12月23日に完成してから、55年が過ぎたという。半世紀以上も東京のシンボル的存在だったタワーも、東京スカイツリー(634メートル)という倍近い超高層建築物の登場でやや影が薄くなった感がある。見慣れた存在とはいえ、入ったのは高校生のころと子どもと一緒だったかなり以前の2回しかなかった。

 エレベーター事故のため休止していた特別展望台(250メートル)の営業が最近再開したと聞いてタワーに行ってみた。 白い色のスカイツリーに対し、先輩の東京タワーは赤(正確には航空法に沿ったインターナショナルオレンジ)が基調(一部分が白)であり、紅白の対抗戦のようにも見える。

 タワーを設計した内藤多仲(ないとう・たちゅう)は、名古屋と札幌のテレビ塔、大阪の通天閣の設計も担当した「耐震構造の父」といわれる建築家で、文化功労者にも選ばれている。開業当時の東京には高層建築物は霞が関ビルと浜松町の世界貿易センタービルしかなく、東京タワーの人気は高かったという。

 開業翌年の1959年、入場者が500万人近くに達したという数字をみても、その人気度がよく分かる。 しかし、いまの東京は高層ビルが林立し、スカイツリーの登場でタワーを訪れる人は少なくなった。

 季節は冬、そして天気は快晴だから、眺望は素晴らしいだろう。だから、エレベーターに乗るために長い列を作るのではないかと想像した。その予想は外れ、145メートルの展望台、さらに乗り換えて250メートルの特別展望台へ行くのに乗り合わせた人数は私を含め数人だけだった。

 特別展望台から眺める東京。レインボーブリッジやスカイツリーも見える。汐留、新宿方面だけでなく四方が高層ビルに囲まれ、遠くに靄がかかっている。全体が茶色っぽく映り、期待した富士山の姿は見えない。この日、中国北京などでは環境汚染物質PM2・5の数値が最悪を記録したというニュースが流れていたから、その影響があったのだろうか。

 正確なことは分からないが、特別展望台に立ってすがすがしさや透明感を味わうことはできなかった。展望台にいる顔ぶれは日本人が3分の2、外国人3分の1程度と見えた。私が残念に思ったのだから、外国人は世界遺産の富士山が姿を現さないことに失望したのではないか。

 東京タワーは日本の高度経済成長の象徴ともいわれた。この後、東海道新幹線が開通(1964年10月1日)し、東京五輪(同年10月10日に開会式)が開催され、日本は敗戦から復興し、経済大国への道を突き進んでいく。

 そして、今。時代は変化し電波塔としての役割はスカイツリーに移り、運営は観光収入(年間の入場者は約300万人という)が頼りだという。パリのエッヘル塔(324メートル、入場者)は曲折を経ながらもパリのシンボルとなり、塔を含めたセーヌ川周辺は1991年世界文化遺産に登録されている。では、東京タワーは今後どんな歩みをしていくのだろう。

 寒靄(もや)や遠方滲む首都模様

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写真 1、入り口付近から見上げたタワー 2、増上寺横から見たタワー 3、特別展望台から見たスカイツリー 4、レインボーブリッジ方面 5、芝増上寺 6、ふだんならこの方向に富士山が見えるという