小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1171 そうか、もう君はいないのか 滅びの美の季節

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「そうか、もう君はいないのか」―。作家の城山三郎が亡くなった愛妻の回想を記し2008年に出した本の題名だ。来年の年賀状が売り出され、同時に喪中の便りが届く季節になった。年々、この便りは増えているな。そんな思いで一枚のはがきを手に取った。

 すると、ここ10数年、年賀状のやり取りだけで会う機会がなかった友人の奥さんからの「夫が亡くなったため、年頭のあいさつを失礼させていただきます」という喪中の便りだった。 小学校時代以降、学生時代の友人何人かがこの世を去っている。今回の友人は何人目なのか。もう数えることはやめることにする。はがきには4月15日に夫が68歳で永眠したと書いてあった。

 夜、奥さんに電話をする。「これまで軽い脳梗塞をやりましたが、元気に働いていました。4月15日の朝、夫は布団の中で亡くなっていて、突然死だったのです」という説明をもらった。飄々としていて、いかにも江戸っ子然とした友人の顔を思い出し、冒頭の言葉を反芻した。

 作家の高橋治は「春夏秋冬ひと歌こころ」という本の中で、「滅びの美の様な美しさ」について触れている。「滅びは、明らかな四季を持つ日本では、年々規則正しく美しい形で繰り返される」と。突然死という形態でこの世を去った友人もまた、滅びの美を家族に残したのかもしれない。

 高橋は、「滅びの美の様な美しさ」の章で、荒城の月を取り上げている。言うまでもなく、この歌は作詞が土井晩翠、作曲が滝廉太郎で、知らない人はいないのではないか。高橋は「日本人がもし『花』『箱根八里』『荒城の月』の3つの歌に親しんでいなかったとしたら、どうだろう」と書いている。

 それほど、この3曲はよく知られている。 1カ月前、福島県会津若松市鶴ヶ城に行った。NHK大河ドラマの舞台になったためか、会津の観光地は多くの人でにぎわっていた。鶴ヶ城の一角には「荒城の月」の碑があり、この歌の詩が土井の筆で書かれていた。

 この歌の句碑は、鶴ヶ城以外に土井晩翠が生まれた仙台市青葉城のほか、滝廉太郎にゆかりの大分県竹田市の岡城址富山市(旧)富山城跡、東京都千代田区滝廉太郎居住地跡にあるという。

 朝夕、秋色が深まる自宅周辺を歩いた。そこには「滅びの美」ともいえる樹木の紅葉が続いていた。この秋は、近年ではまれにみるほど、紅葉が美しい。友人がこの景色を見ずして亡くなったことに心が痛んだ。合掌。

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 写真 1、近所の公園のメタセコイア 2、近所の調整池に立ち込めたけさの霧 3、鶴ヶ城の荒城の月の碑 4、5ことしはひときわ色づいた遊歩道のけやき