小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1162 鳥威(とりおどし)の季節 寒露は名ばかりの暑さ

画像

 24節気のうちの「寒露」が過ぎたばかりだ。露が冷たく感じられてくるころのことを言い、空気は澄み、夜空にさえざえと月が明るい季節(東邦出版・日本の七十二候を楽しむ、より)だという。それにしても、ここ数日、真夏が戻ったような暑さが続いている。寒露はどこへ行ってしまったのだろうか。

  俳句には、春夏秋冬に関する季語がある。いまごろの季語に当然寒露が入っている。言葉は年々歳々変化を遂げていく。ふだんあまり使わない言葉が季語として残っていることに、俳句の門外漢である私は感心することが少なくない。昨日も新聞の地方版の俳句のコーナーには、私がこれまで使ったことがない言葉が出ていた。

 「鳥威」である。「とりおどし」と読み、ウィキペディアなどによると、実った稲などの農作物に害を与える鳥をおどかして追い払うために田畑に設けるもので、鳴子や空砲という音で脅かす方法、かかしやカラスの翼、金・銀・赤のテープ、大きな目玉の形をした風船、CDなど形や色でおどかすことの総称だそうだ。

  この鳥威で気が付いたのは、私が利用するJR駅周辺にムクドリの大群が住みついていることだった。3年前のこのブログにも書いているが、駅周辺ではこの年、ムクドリの追放作戦が敢行されたのだ。以下、当時のブログを再掲する。

 《私が利用しているJRの駅周辺で、先月末ものすごい音響がスピーカーを通じて流された。電柱には「ムクドリ対策中」という張り紙があり、この周辺に集まるムクドリの大群を追い払おうという作戦だと分かった。この音による作戦と並行して、3日間にわたってボランティアを募集しての対策が実施された。もともと益鳥といわれたムクドリも、自然環境の変化によって生活の場を奪われ、人間との戦いを強いられるようになってしまった。

  ムクドリは日本では珍しくない鳥だ。農作物に害のある虫を食べるので、益鳥といわれた時代もあった。しかし、経済の高度成長、列島改造などによって生育環境が破壊され、都市部の街路樹などをねぐらにするようになり、しかも群れをつくって行動する習性から、「ギャアギャア」という鳴き声や大量の糞が問題視され、全国でムクドリ公害が叫ばれるようになった。

  新潟県長岡市がJR長岡駅前の捕獲したムクドリの鳴き声を録音して、これを大音量で流したところ、ムクドリが集まらなくなった。この話を聞いたムクドリ公害に悩む自治体は同じ作戦を実施し、成功したという。わが街のJR駅周辺で流されている音は、区役所の担当者によると、「ムクドリが嫌う音」(危険が迫った時や天敵に捕まった時の悲鳴になるムクドリの忌避音 (ディストレス・コール)と言い、長岡と同種のものだった。

  音による追い出し作戦と同時に実施されたボランティアを集めた対策は、拍子木や竹竿を使ってムクドリを追い払う担当とムクドリの行動を観察し、記録する担当に分れ、作業前には作業方法、ムクドリの習性についての説明会も開催されたという。しかし、こうした手作業ではムクドリと戦うのは難しく、これまで集まっていたところから分散したものの、依然として駅周辺にはムクドリの群れが舞っているのが見える。

  けさ、わが家の庭を見ると、一羽のムクドリが舞い降りてきて、芝生のあたりで虫を食べている。大群の鳴き声は異様だが、一羽なら愛嬌がある。モーツァルトムクドリをペットとして飼っていたらしいが、ユニークだなと思う。

  区役所によると、駅周辺のムクドリの数は、昨年は約2万羽いたが、ことしはその半分程度だそうだ。追い出し作戦が功を奏したのか、ヒナのかえりが悪かったためかは分からない。しかし追い出し作戦が終わった後も、夕方になると鳴き声がうるさくいくらい集まってきて、まだあの音が流されているのかと勘違いしてしまうほどだ。

  都市部では宅地化が進んで緑が少なくなる現象が続いている。住処を追われたムクドリたちは、大きくなった街路樹に集まってくる。追い払われても場所を移すだけだ。だから街中から完全に追い払うことは困難で、妙案はなかなか見つからない。私の質問に答える区役所の担当者の声は弱々しかった》

  3年前、これだけのことをやったにもかかわらず、駅周辺の街路樹はムクドリに占拠されている。一時は大音響という鳥威によってどこかに退避したものの、ほとぼりがさめたら、いつの間にか舞い戻っていたのである。

  夕方、駅で帰宅の時間を待ち合せた娘と合流した。私たちの耳にムクドリのさえずりの合唱が聞こえてきた。娘は「不気味な鳴き声だ」と声を潜めながら言う。それはなぜなのか。聞いてみると、かつて私たちと一緒に見たアルフレッド・ヒッチコックの「鳥」という映画をいまでもよく覚えており、その恐怖がムクドリの合唱で蘇ったのだそうだ。

  ここに住みついたムクドリたちは相当変わった鳥威方法でなければ姿を消すことはないはずだ。ムクドリは必死なのだ。生きる環境を追われ、仕方なく朝夕、駅周辺を根城にしているのだ。ムクドリの生態を見て、あらためて自然界の驚異を感じた。

  写真 朝の空