小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1121 悲しい過去を持つ島で 73歳になったジェンキンスさん

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 新潟県佐渡島の観光施設・佐渡歴史伝説館の土産販売コーナーで、北朝鮮による拉致被害者の一人である曽我ひとみさんの夫のチャールズ・ジェンキンスさんを見かけた。ここで販売されている「太鼓番せんべい」は、拉致被害者の救出を目的にする「ブルーリボン運動」の奨励品であり、売上の2%が救済活動に充てられるという。

 ジェンキンスさんの人生は、平坦ではなかった。ベトナム戦争当時の1965年1月、陸軍の軍曹として朝鮮半島軍事境界線に駐屯中、偵察に出たあと北朝鮮軍に投降し、そのまま身柄を確保され、39年間北朝鮮に滞在する。

 その間、曽我さんと結婚、2人の娘が生まれる。軍務に不満を持っていたことが投降の理由といわれ、本人は捕虜交換などで早めに帰国できると考えていたという。だが、そうはならず、北の宣伝材料として利用され、長い年月が過ぎた。

 2002年、曽我さんと地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻、蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻の5人が帰国し、さらにこの2年後の2004年、3家族の子どもとジェンキンスさんも日本にやってきた。曽我さん家族は、曽我さんの出身地、佐渡市に住み、ジェンキンスさんは伝説館の土産販売コーナーの職員になった。既に73歳、その小柄の姿から老いを隠すことはできない。

 店内には「職員は写真撮影には協力できない」旨の張り紙があり、ジェンキンスさんも口を開かず、あまり元気がないようだった。 歴史館は、鎌倉幕府の倒幕を叫んで承久の乱を引き起こした順徳天皇観世流を世に広めた室町時代の能役者・世阿弥鎌倉時代日蓮宗を興した日蓮の3人の佐渡流刑のいきさつを中心に、ハイテクロボットや実物大のセットで佐渡の歴史を体感してもらうもので、ハイテクロボットの動きには感心した。

 3人のうち順徳天皇佐渡生活21年で亡くなり、世阿弥佐渡の流人生活7年、日蓮は3年でそれぞれ赦免になるが、長い間、佐渡島は「絶海の孤島」として罪人の流刑の地になっていたのである。金山として脚光を浴びた1700年以降その慣習は消えたが、佐渡にはいまも流刑になった人たちの歴史が色濃く残っている。中でも3年しかいなかった日蓮佐渡の寺に大きな影響を与えた。

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 そんな歴史を振り返ると、ジェンキンスさんは「悲しい過去を持つ島」に住んでいるといっていい。現在は米国の航空機メーカー・ボーイング社が開発したジェットフォイルという高速の水中翼船(日本ではライセンスを取得した川崎重工が製造)によって、新潟―両津間が1時間5分で結ばれ、観光の島になっている。

 ボーイング社がジェットフォイルを開発したのは軍事目的で、ベトナム戦争に使われたというから、ジェンキンスさんとの縁を感じてしまう。 ジェンキンスさんは、半生を振り返った「告白」という本を出しているが、どんな思いで佐渡の日々を送っているのだろうか。

 曽我さんら5人が帰ってきて今年10月で丸11年になるが、その後この問題の進展はない。先月、小泉元首相の秘書官だった飯島功内閣参与が訪朝し、何らかの進展が期待されたが、目立った動きはないことに苛立ちさえ感じる。ジェンキンスさんも同じ気持ちなのかもしれない。

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写真 1、2日蓮ゆかりの妙宣寺の茅葺風景 3、長岡駅の新幹線の連結光景