小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1575 日野原さん逝く 伝え続けた平和と命の大切さ

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 生涯現役を貫いた医師の日野原重明さんが18日亡くなった。105歳という日本人男性の平均寿命(80・75歳=2017年3月、厚労省発表。女性は86・99歳)を大きく超える長命の人だった。日野原さんが生まれたのは1911(明治44)年10月4日で、この年、中国では辛亥革命清朝が倒れ、ノルウェーアムンゼンが南極探検に成功している。日本では大逆事件幸徳秋水ら24人の死刑が執行された年で、明治はそれから1年半余で終わる。日野原さんは明治から大正、昭和、平成と激動の1世紀以上を生き、平和の尊さを訴え続けた人だった。  

 何度か日野原さんの話を聞く機会があった。直接本人にも会った。10歳のときに大病をした母親を救ってくれたかかりつけの医師に憧れ医学の道を選んだ。そんな経験から全国の10歳(4年生)の小学生を相手に「いのちとは何か」という授業を続けたのだが、たまたまこの講義を子どもたちと一緒に受けたことがある。印象深かったのは、命の大切さを伝えるために、アフリカで長期間医療奉仕をしたアルベルト・シュバイツァーノーベル平和賞受賞)が平和運動のために尽力したことを紹介しながら、「戦争は絶対にやってはならない」と訴えたことだ。  

 以前のブログにも書いているが、千葉大学で医学部や看護学部の学生を対象に講義(2008年1月)をした際にも、シュバイツァーの例を出し「人の命を救うには公衆衛生よりも戦争をなくすことが大事だ。戦争を体験した私たちは、相手を許すことで争いを終わらせるよう務めなければならない」と語ったことが忘れられない。  

 当時、睡眠時間は平均5時間、スケジュールは数年先まで埋まっていると話し、別の講演では「(神から)与えられた(残りの)年月を全力で激しく生きていきたい」と語ったことが報じられた。105年の人生は達成感で満ちていたのか、まだやり残したことがあったのかどうかは分からない。  

 私の住む地域(千葉市)の小中学校は、18日から夏休みに入っている。(15日から17日までが3連休だったから、実質的には15日から8月29日まで、1カ月半の長い夏休みとなる)近所の広場で続いている朝のラジオ体操には、18日から大勢の子どもたちが加わっている。ふだんは高齢者がほとんどのラジオ体操会場に活気をもたらす子どもたちの輝くような姿は、毎年夏の風物詩といえる。日野原さんは、この子どもたちにも命の大切さを伝えたかったに違いない。

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写真 1、朝のラジオ体操に子どもたちも加わった 2、調整池の遊歩道脇に咲いた待宵草 3、透明感のある調整池の風景

217 生涯現役の日野原先生 威厳に満ちた人生大先輩の講義

867 「一世紀を生きて・・・」 柴田トヨさんと日野原さん