小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1111 トンネルを抜けると別の世界 金沢文庫・称名寺は黄菖蒲の季節

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「トンネルを抜けると、全く別の世界が広がりますよ」と、金沢文庫横浜市)の学芸員が言う通りだった。金沢文庫と隣の称名寺の間にはたしかにトンネルがあり、そこを抜けると、盛りを迎えた黄菖蒲の花が私を迎えてくれた。

 称名寺は、世界遺産不登録を勧告された「武家の古都・鎌倉」の一角に入る寺だ。鎌倉の寺院に比べると知名度は低いが、真っ青な空の下に咲き誇る帰化植物黄菖蒲の素晴らしさは格別だった。 富士山が世界文化遺産に登録されることが確実になったのは喜ばしい。

 一方で同時に登録を目指していた「武家の古都・鎌倉」は、「不登録」の勧告を受け、登録申請を辞退しない限りこのままでは将来的にも世界遺産になる道はなくなってしまうそうだ。審査を行う国際記念物遺跡会議(イコモス)の「不登録」の勧告理由は、鎌倉の史跡の少なさや市街地の都市化などによって、武家文化の重要性を説明しきれないことが挙げられているという。

 たしかに鎌倉をとりまく都市環境は厳しく、先に世界遺産になった平泉に比べてみると、その差は歴然としている。だが、大都市の近くでこれだけの文化遺産があること自体、誇っていい。私たち日本人の感覚なら、京都、奈良とともに鎌倉は日本の古都としての価値が高いと思うのだが、イコモスの専門家の価値観はそうではないようだ。

 称名寺は、北条氏の始祖、北条実時が創建(正確な年号は不明だが、1258年ごろとも伝えられている)したといわれ、金沢文庫は実時が集めた様々な書籍を収蔵する文庫として実時の居宅につくられた。現在の文庫は1930年(昭和5)に復興し、さらに1990年(平成2年)に現在の場所に新築され、神奈川県立の博物館・図書館として運営されている。トンネルは司馬遼太郎の「街道を行く」でも紹介されている。

 現在のトンネルは1990年の金沢文庫の新築の際につくられたもので、以前の数本のトンネル跡も保存されている。 金沢文庫に立ち寄った帰り、称名寺にも足を延ばした。この寺にある浄土庭園の阿字ヶ池では、黄菖蒲がいま盛りの季節を迎えていた。この黄菖蒲が群生している様は見事だが、帰化植物であり、生態系に大きな影響を与えるとして環境省の「要注意外来生物」に指定されているこの花がなぜここに群生したのだろうか。

 この寺では2000年(平成12)に金堂裏の発掘調査が実施された。ところが、このあと雨が降ると発掘跡の土砂が池に流れ込み、底に土砂がたまったため土砂流入防止策として、黄菖蒲を北面側に植えたのだという。しかし、黄菖蒲は、環境省要注意外来生物になっているように繁殖力が強い。その結果、黄菖蒲は次第に増え続け、阿字ヶ池の黄菖蒲はいつしか称名寺の風物詩になったのだ。

 黄菖蒲を植えた人たちは、十数年後、池がこんな姿になるとは想像しなかったのではないか。まさに、けがの功名といっていい。イコモスが「武家の古都・鎌倉」の池が外来生物によって変化を遂げたことを調査済みかどうかは知らない。いずれにしろ称名寺黄菖蒲は目に優しい。俳句を作っている人やスケッチブックに描く人、カメラのシャッターを押す人など、数多くの人たちの美の対象としての存在感は大きいようだ。

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