小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1438 人生の選択 グローバル化時代の望郷とは

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 望郷とは、「故郷をしたいのぞむこと。故郷に思いをはせること」(広辞苑)という意味だ。世はグローバル化時代。飛行機をはじめとする交通機関やインターネットという情報手段の発達によって、世界は狭くなった。だから、望郷という言葉はあまり使われなくなった。だが、この言葉は海外で暮らす人には付き物だろう。

 一人の友人のことを考えた。この友人は、タイのチェンマイで奥さんとともにロングステイ(海外に長期滞在すること)をして13年になる。会社人生を早めに終え、ロングステイの候補地を旅して、たまたま訪れたチェンマイが気に入り、5年程度と考えながら住んでみたらその倍以上の年月を過ごしていた

 。文字通りロングステイヤーとして長期に及んだのはチェンマイという都市の生活になじんだためなのだろう。 そんな友人夫妻はタイでの生活にピリオドを打ち、近く帰国することになった。チェンマイ暮らしが板についたとはいえ、あくまでも外国人だから、いずれは区切りをつける必要があった。それが年齢的なことを考えるといまなのだろう。

 昨今の世界情勢の危うさも海外で暮らす人々の不安材料でもある。イスラム過激派ISやその同調者による爆弾テロが東南アジアにも波及しており、海外暮らしも以前に比べると危険度が増してきているのだ。海外移住に踏み切ったものの、困窮生活に陥るケースも少なくない。水谷竹秀著『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる困窮邦人』(集英社文庫)は、そんな男たちを描いたルポの秀作である。

 いずれにしても、友人は帰国という道を選んだ。そのうえで帰国後は伝統的建造物・文化財の多い奈良に住む予定だという。チェンマイはタイの古都(1296年建造)であり、多くの寺院や遺跡がある。一方、奈良(藤原京平城京)は京都と並ぶ日本の古都である。友人の奈良に住むという選択は彼なりに選択肢を絞った末の結論なのだろう。チェンマイを去ることになって友人夫妻はどの程度までに望郷心を抱いたのだろうか。再会の折に聞いてみたいと思う。

 望郷といえば、奈良時代遣唐使として当時の唐(現在の中国)に派遣され、唐朝の高官になった阿倍仲麻呂は、日本に帰国できないまま唐で死んでいる。現代と違い、交通手段は船だけであり、その旅は命がけだった。だから、仲麻呂が唐で抱いた望郷の思いは計り知れないものがあっただろう。 以前、中国を訪れた際、鑑真和上が日本への招請を受けた揚州の大明寺まで足を延ばした。寺の境内に立って、はるか昔、遣唐使としてこの地にやってきた僧たちは奈良を思い、望郷の念にとらわれたのではないかと考えたことをいまも忘れることができない。

891 海外暮らしという人生の選択 チェンマイからの便り

1315 祭りのあとも チェンマイ幻想

1175 微笑の国での生活 タイへの旅(3)

676 再読「天平の甍」 井上靖の文章

345 中国の旅(1)鑑真の故郷へ