小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

「乾杯!恐るべし」 日本酒危機の応援条例

画像酒造メーカー、月桂冠のホームページによると「乾杯」という習慣が一般化したのは、わが国が西洋文明を取り入れ始めた明治・大正期からだという。ビールをはじめとする洋酒も飲まれるようになり、次第に普及したが、明治末期のころの掛け声は「乾杯」ではなく「万歳」だったそうだ。いまでは乾杯といえばビールが定番だが、日本酒を習慣にしようという「条例」が京都市など地方自治体で制定されたという。 酒の消費量統計をみると、日本酒は最盛期(70年代)の3分の1と出荷量が落ち込み、ビールや発泡酒・リキュールに対し守勢に回っている。この不振回復を狙って伏見という酒所を持つ京都市議会が昨年12月、「清酒による乾杯の習慣を広め、清酒の普及を通して日本文化の理解を促す」という長い名称の「日本酒乾杯条例」を可決した。佐賀県鹿島市でもことし3月に同様趣旨の条例を制定、兵庫県西宮市でも6月の定例市議会に提出予定で、石川県白山市でも条例制定の検討をしているという記事が出ていた。 京都、鹿島とも、もちろん拘束力・罰則はなく、あくまで日本酒の普及と日本文化の理解促進が狙いだそうだ。酒は嗜好品であるので、「乾杯条例」が制定されたからといっても飲まない人はいるはずだし、そもそも条例にするほどのことかと首をひねる向きもいるかもしれない。条例で応援が必要なだけ、日本酒の危機が続いているということなのだろうか。 かつて焼酎は、日本酒に比べ圧倒的に消費量が少なかった。それがいまでは連続式蒸留(甲類)と単式蒸留(乙類)合わせると日本酒を上回っているのだから、日本酒業界が焦るのも理解できる。以前は宴会で日本酒の杯のやり取りが盛んに行われ、日本酒に対する嫌悪感のようなものを持ったことがある。この習慣はいつしかなくなったが、若い人には日本酒のイメージはあまり芳しくはないのではないか。日本人の嗜好の変化といってしまえば簡単だが、若い人には「日本酒は親父の雰囲気で、古臭い」という印象が強いのではないか。ワイン好きな私の娘が日本酒を飲んだのを見たことがない。 乾杯といえば30年前の中国でのある体験を思い出す。中国東北地方の瀋陽市でのことだった。瀋陽の製鉄工場・工場長主催の宴会で、訪中団の団長の先輩はアルコール度数50度以上という白酒(バイチュウ)に属する茅台酒で10数杯乾杯を続けた。ふだんからアルコールに強いと自認していた彼は、飲み干すのがルールという中国式乾杯を守り、ついには倒れてしまい、一時意識を失った。大事には至らなかったものの「乾杯恐るべし」と思ったものだ。だから、乾杯条例が制定されたと聞くと、乾杯の強要があるのではないかとつい心配したくなる。これを機会にこれ迄以上においしい酒を開発し、日本酒は素晴らしいという雰囲気作り、イメージアップ作戦をしなければ、条例制定の意味がないと思われる。 NHK総合テレビの「サキどり」(毎日曜朝)という番組で4月28日、「世界のグルメが絶賛!トレビアン日本酒」という特集が放送された。パリの三つ星レストランに選ばれた海産物との相性がいい日本酒をつくった名古屋の蔵元、一年中味も香りも落ちないおいしい生酒を開発した奈良県天理市の地酒メーカーなどが紹介されたが、いずれも「若者」が中心になって新しい酒をつくったそうだ。日本酒復活のカギは、「若者」が握っているといっても過言ではないようだ。