小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1107 富士山は特別な存在 ようやく世界遺産(文化)登録へ

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 富士山を嫌いだと思う人はいないのではないか。日本のシンボルとして、だれでもが美しい山容に畏敬を抱いているといっていい。その富士山がようやくユネスコ・国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)から世界遺産に登録されることになった。

 これまで富士山が世界遺産に登録されないことが7不思議の一つといわれただけに「ようやく」という言葉を使ってしまう。その世界遺産だが、富士山が登録されるのは「自然遺産」ではなく「文化遺産」の方だというから、苦肉の策のように思える。

 飛行機で富士山上空を飛んでいる際「ただいま富士山が○○側に見えています」という案内を聞いたことがあると思う。東海道新幹線でも、高速で走る列車の窓からその姿を見ることができ、旅の楽しみの一つにしている人もいるだろう。

 戦前、戦後の長い期間、中国で暮らし、中国残留婦人といわれた元女医から富士山にまつわる話を聞いたことがある。彼女は一時帰国を経て日本に永住帰国するが、何十年ぶりかの一時帰国の際、飛行機の窓から富士山を見て涙を流したのだという。

 当時の私の文章には、その場面をこんなふうに記している。

 ―薄い雲の切れ間に富士山が間もなく見えた。日本に帰ってきた、生きていてよかったと緑(話を聞いた女医)は興奮していた。富士山は緑たちを歓迎するように、冠雪がキラキラと輝いていた。そのとき、機内の残留婦人の一人が大きな声で泣き出した。それはあっという間に他の婦人たちにも波及し、緑の両眼からも大粒の涙があふれ、頬をつたった―(当時の記録より)

 日本を離れて長い間中国で暮らしてきた女性たちにとっても、富士山は日本の象徴であり、日本に帰ってきたことを実感し、涙が流れたのだろう。その後中国残留孤児といわれた人たちが肉親捜しのためにやってきたときも、機内で同じ光景があったと聞いた。

 私は子どものころ、富士山とは縁のない地域に住んでいた。だが、自宅近くの里山に登れば富士山が見えると信じていた。いま振り返れば愚かなことだったが、時間があれば地区を見下ろすことができる里山に登り、富士山があるはずの西の方向を見続けたことを思い出す。子ども心にも富士山は特別な存在であり、強い憧憬を持っていたのだ。

 富士山は自然遺産ではなく文化遺産として登録される。自然遺産の方が適切だと思うのだが、朝日の記事によると、ごみ問題などの影響で国内の候補地選定段階で外され、古くから信仰の対象だったことや葛飾北斎の浮世絵など日本独特の芸術文化を育んだ「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」の文化遺産として登録されることになるという。

 自然遺産候補に挙げるのをためらうほどのごみが富士山の周囲にはあるということなのだろう。 日本の世界・自然遺産は屋久島、白神山地、知床、小笠原諸島の4つで、文化遺産法隆寺から平泉まで12あり、富士山が加わると文化遺産は13になる。

 世界遺産登録で、登山者らによる恥ずべきごみ問題が解決することを願うばかりだ。

 寒けれど 富士見る旅は 羨まし 正岡子規

 初富士のかなしきまでに遠きかな 山口青邨

 以下、世界遺産と富士山に関するブログ

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