小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1101 沖縄の樹木たち 南方熊楠が愛したセンダン

画像画像沖縄に行きセンダンコバテイシという2本の大きな木を見た。2本ともアジアの熱帯・亜熱帯に分布する高木で、私が住む首都圏では見かけない。沖縄では日常目にする植物だろうが、私にとっては珍しいものだった。それが庭の主木として植えられていた。米軍基地、普天間の移転候補地となった辺野古がある名護市に行き、その隣町の本部町にも足を延ばした。 名護に行くため那覇からバスに乗った。それから約1時間半、高速道路を下りると、車窓からコバルトブルーの海が目に入ってきた。市役所を過ぎ名護のバスターミナルが終点だ。ターミナル入り口付近にある電柱には、辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会開催の看板が立っていた。普天間飛行場移設に絡んで政府が辺野古沖合の埋め立て申請を沖縄県に提出したのは3月22日だから、この看板はそれに反対する集会の案内だ。埋め立て申請のあと、日米両政府が普天間は2022年度以降に返還することで合意したことが報じられた。沖縄の基地問題の解決は極めて困難で、これからも果てしない道のりが続くだろうことは容易に想像できる。
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名護は沖縄本島北部に位置し、本部はその隣町だ。日本は人口の減少と高齢化現象が続いているが、沖縄県全体と県庁所在地の那覇市、名護市は人口増が続いている。沖縄の住みやすさがこうした状況を生み出しているのだろうか。名護や本部には福島の原発事故以後、本土から移住してくる人が目につくようになったそうだ。新しい住宅も少なくない。
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そんな人たちを沖縄の自然が優しく迎えてくれるのだ。それがセンダンであり、コバテイシなのだ。翻訳を仕事にしている知人の自宅にはコバテイシの木がすくすくと育っていた。樹高3―4メートルはあるだろう。沖縄では古くから日よけとして利用されていたそうで、この木の下のベンチに腰掛けて読書をし、コーヒーを飲んだら気分は爽快になるだろう。同じ北部の今帰仁村には樹高18メートル(推定樹齢300―400年)という沖縄県最大のコバテイシの大木があり、天然記念物に指定されている。水平に広がった枝は330平米(100坪)を覆い、樹陰には200―300人が入ることができるというから、その大きさは半端ではない。 センダン(栴檀は双葉よりも芳し、ということわざは白檀のこと)もコバテイシに負けず劣らず、大きく成長する木だ。近代日本を代表する知識人といわれた南方熊楠((1867―1941)はこの木を愛し、和歌山県田辺市の自宅の庭には樗(おうち)と別名で呼ばれるセンダンがあった。彼は亡くなる直前「天井に紫の花が咲いているのが見える」と話したが、それはセンダンの花だといわれている。 知人の家の近くで見たセンダンは高さ5―6メートルもあり、まだ成長過程にあるようだった。これから横へ横へと枝を伸ばしていくはずだ。この木を見上げているとなぜか気分が落ち着いてきた。以前、このブログでも紹介したが、ヘルマン・ヘッセは以下のような文章(「庭仕事の愉しみ」より)を書いている。 私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、1本の木は私たちにこう言うかもしれない。「落ち着きなさい!落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易ではないとか、生きることは難しくないとか、それは子どもの考えだ。おまえの中の神に語らせなさい。そうすればそんな考えは沈黙する。おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。しかし一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へと導いている。故郷はそこや、あそこにあるものではない。故郷はおまえの心の中にある。ほかにどこにもない」 沖縄は戦後、長い間基地問題に直面している。焦燥感にかられた沖縄の人々をセンダンやコバテイシ、ガジュマルという南国の木々が見守り、「落ち着きなさい」とひそかに、声を掛け続けているのかもしれない、と思った。 写真 1、センダン 2、コバテイシ 3、名護の海 3、埋め立て申請撤回を求める集会の看板 ヘッセに関するこれまでのブログ 「シッ ダールタ」の悟り  新緑の季節の木との対話