小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1761 浜辺の風景が変わっても 3・11から8年

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 あの日から8年が過ぎた。3・11東日本大震災である。8年前の記憶は人それぞれにしても、現代に生きる日本人にとって忘れがたい大災害だった。大災害に襲われた福島、宮城、岩手の3県だけでなく茨城、千葉の沿岸部の被災地で「これまでの経験から、避難しなくても大丈夫だと思った」という人が大勢いた。それが人的被害を拡大する要因になったといわれる。自然の脅威。時代は変わってもこの言葉は永遠なのだ。  

 多くの命を奪った海は、いま静かになった。だが、岩手県山田湾のように新たに建設された巨大な防潮堤が渚を遮る地区も出現し、渚の風景は変わった。時々あの歌を口ずさむ。林古渓作詞・成田為三作曲の「浜辺の歌」だ。  

 あした浜辺を さまよえば  昔のことぞ しの(偲)ばるる  風の音よ 雲のさまよ  寄する波も 貝の色も  

 3月11日。渚に立って海に命を奪われた家族や友人、知人を鎮魂するため祈りを捧げる人々の姿が少なくなかった。その人たちの胸に去来したのは、震災前の故人とともに生きた懐かしい日々だったに違いない。その人々を力づけているのが「浜辺の歌」のような、美しい音楽であり、言葉なのだと思う。

 8年前、東日本の海は荒れ狂い、恐竜と化したかのように街々を飲み込んだ。その修羅は形こそ違っていたが、74年前の沖縄で起きていた。太平洋戦争末期の沖縄戦である。今、沖縄の海はあくまでも青く澄み、東日本の海も平穏を取り戻した。  

 8年前、飛行機から被災地を見た。

「高度1万メートル以上で飛ぶ飛行機の窓から三陸の町や村がかすかに見える。建物はマッチ箱のようだ。自然界で人間の営みははかなく心もとないことを実感する。その営みは自然の脅威にさらされると、もろくも壊されてしまう。悔しいのだが、その典型が今回の大震災だったと認めざるを得ない。だが、はかない存在の人間は、実はしたたかで簡単には降伏しないエネルギーを持っている」  

 これは、当時被災地のことを書いた文章の一部である。大震災から8年が過ぎても、原発事故の福島をはじめ、大災害の後遺症は依然として癒えない。家を奪われた末、災害関連死で亡くなった人たちも少なくない。仮設住宅で暮らす人、避難生活を続ける人も数多い。闘いに降伏しないエネルギーを持ち続けることは容易ではない。そうした人たちの存在を決して忘れてはならないと思うのだ。

「被災地の復興は着実に前進している。生活に密着したインフラの復旧はおおむね終了し、住まいの再建も今年度でおおむね完了する見込みだ」と、安倍首相は追悼式典であいさつした。はたしてそうだろうか。造成した土地に戻る人は少ないではないか。原発事故の福島は、本当に安全なのだろうかと思うのだ。  

 20世紀を代表する文学といわれるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は記憶をめぐる物語だ。後世、日本文学でも大震災の記憶を基にした、スケールの大きな作品が生まれるかもしれない。  

 写真 春めいてきた調整池の森  

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