小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1042 被災地・女川で出会った若者 会社やめ被災地支援に没頭

画像

 東日本大震災の被災地では、勤めていた会社をやめ復興支援のために働いている人が少なくない。宮城県の女川で出会った小松洋介さん(30)もその一人だった。彼は現在、民間の任意団体・女川町復興連絡協議会 戦略室で、被災した事業者や、新しく事業を興す人たちの相談に乗っている。その一つであるトレーラーを使った珍しい形の旅館が間もなくオープンするそうだ。

 小松さんは、情報企業として知られるリクルート・北海道支社の社員だったが、震災後の昨年9月、リクルートをやめ女川で活動を始めた。仙台出身で、妻子を仙台に残して札幌に単身赴任していた小松さんは、故郷の惨状に悩んだ末、会社員生活を捨て、復興のために働くことを決めたのだという。

 家を持とう、海外旅行もしたい、語学の勉強もしたいという将来の夢を持っていた奥さんは夫の転身には反対だった。「ごめんなさい、わが家の大黒柱はあなたです」と言い続けながら、小松さんは粘り強く説得したのだそうだ。

 いま、小松さんら戦略室は、津波で流されてしまった旅館の経営者4人とともに、女川町清水町の市有地を無償で借り、トレーラーハウスを利用した旅館をつくるプロジェクトを進めている。旅館経営者らは「女川宿泊村協同組合」を設立し、理事長には一番若い佐々木里子さん(43)が就任し、小松さんとともに国にも働きかけ、総工費5億円のうち3億4000万円の助成を得た。

 建物は長野県のトレーラーハウスメーカーに特注した。 現地には既に4台のトレーラーが設置され、ドアを開けて中に入ると、ビジネスホテル並みの部屋があった。トレーラー1台で2部屋分あり、部屋にはツインベッドを入れ、バス・トイレ、テレビ、冷蔵庫付き、もちろん冷暖房完備である。食事棟は別に設置する。

 宿泊用のトレーラーは全部で32台となり、12月末には営業を始める予定だ。 いま、被災地では宿泊施設が足りない。女川町には震災前には12軒の旅館があったが、8軒が被災した。佐々木さんの両親が経営していた奈々美やという旅館も津波で流され、両親も亡くなった。佐々木さんは、両親が長い間やっていた旅館が大好きで、旅館を再建したいという強い思いを抱いていたという。

 長野まで出かけ、トレーラーハウスを下見した佐々木さんは「形が変わっても、これなら旅館として大丈夫」と思ったそうだ。 トレーラー旅館の背後には小高い山があり、山歩きができる。山野草もふんだんにあり、女川ネーチャーガイド協会設立の動きもあるそうだから、工事関係者やボランティアだけでなく、一般客の利用も増えるのではないかと小松さんらは話してくれた。

 小松さんは、戦略室の黄川田喜蔵室長から「5年で戦略室は出ていけ。仕事をやり切って出ていけ」と言われているそうだ。被災地復興に集中して取り組んでほしいという叱咤激励なのだろう。私は小松さんの生き生きした表情に接し、黄川田さんの注文に必ず応えることができるだろうと確信した。

画像
画像

写真 1、トレーラー旅館の前で小松さん(左)と佐々木さん 2、トレーラー旅館の一部 3、、津波で大部分が流された女川町の中心部