小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1031 出会った人たちの言葉(1) 東日本大震災を経験して

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 言葉が軽い時代だといわれる。昨今の政治家たちの言葉は特に軽薄だ。だが、この6年間に旅をしながら出会った日本内外の人たちの話からは言葉の重みをずしりと感じることが少なくなかった。そんな言葉の数々を紹介したいと思う。

 1回目は2011年3月11日の東日本大震災に絞って、ボランティアや被災者の思いを拾った。(別の媒体に発表したものを再録、編集した)

  ▼世界中の魂とともに

 日本で大きな地震津波があったことを知り、とても悲しく、胸が痛みました。私たちはただ祈ることしかできません。世界中の魂とともに祈りを捧げます。

ラオス・サラワン県ポンタン小の子どもたち。2011・3・11の東日本大震災の被災地仙台市の小学生に向け)

  ▼つぶやきを丁寧に聞いて

 東北の人たちは遠慮深くて我慢強い。足湯などを使い、マンツーマンで被災者のつぶやきを丁寧に聞いて、支援のヒントを見つけたい。

(2011・3・11後に結成された震災がつなぐ全国ネットワークの代表、NPOレスキューストックヤードの栗田暢之代表理事

  ▼やることが見えてきた

 被災地の悲惨な光景に言葉も出なかった。足湯を通して被災者から話を聞いて自分がやらなければならないことが見えてきた。

(学生、鈴木祐太さん。2011・3・29から宮城県石巻市の足湯サービスボランティアに参加して)

  ▼足湯で心身とも楽に

 震災からずっとお風呂に入っていないので、足湯で心身とも楽になった。被災者全員がボランティアに感謝しています。

石巻市の被災者、黛正昭さん。2011・3・30足湯サービスボランティアに対し)

  ▼想像を超えた被災地

 被災地の現状は想像をはるかに超えたもので、絶句した。被災の模様は何度もテレビを通して見たが、これほど考えさせられることはなかった。ショックです。

(東京・板橋の社会福祉法人翠生会の小幡信和さん。2011・4・7被災地の石巻の障害者支援施設に障害者の移送車両を提供)

  ▼傾聴の姿勢が基本

 無理に話を聞き出すことは避け、安易に励ましや助言はしないこと。災害時を無理に思い起こすような聞き方もしない。傾聴の姿勢が大事で、相手の領域を侵さない線引きが基本です。

東日本大震災のボランティア向けメンタル講座の講師、片岡修雪さん。2011・4・14、NPOキッズドア主催の講座で)

  ▼精いっぱい生きてほしいというメッセージ

 いまは割り切るようにしている。私が災害FMに出勤した当日、津波で行方不明になっていた両親の遺体が見つかった。私に精いっぱい生きてほしいというメッセージだと思った。

宮古災害FMの事務局長・佐藤省次さん。2011・4。岩手県山田町に住む両親とおばを津波で失った)

  ▼原発事故で崩された日常生活

 当たり前に思っていた日常生活が数時間で国家によって壊されてしまった。これは人災です。津波の災害と原発事故の災害を同じ感覚で見ているかもしれませんが、とんでもない違いです。かわいそうな南相馬ではなく、自分の身に起こり得る理不尽な出来事としてこの現実を知って伝えてください。政治批判に費やす時間を、真の復興プロジェクトを構築する叡智の結集の時間に変えてください。

福島県南相馬市原町地区でクリーニング店を営んでいた女性。2011・4月下旬に届いた便りから)

  ▼無力と感じた被災地経験

 仕事でお客さんと話をしていろいろなことを教えてもらっています。今度は私から話しかけるのはやめました。家族を失った人は顔を見るだけですぐに分かりました。そんな人にかける言葉は思い浮かばず、つらい経験でした。私など何の役にも立たない、無力だと感じた。人生がこんなにつらいと思ったことはありません。

(札幌市で理容店を営む女性。2011・4月下旬、岩手県陸前高田市で被災者の髪のカットのボランティア)

  ▼あなたたちは闇の中の一筋の光

 ちきゅうにいる人たちがみんなをおうえんしています。つらくてもかなしくても、雨がふってもげんぱつにつなみがきても、木がねっこからおれてもきれいなさくらのようにがんばってください。あなたたちはやみのなかの、ひとすじのひかりです。

福島県矢祭町立東舘小3年、塙莉愛さん。2011・5・12原発で必死に働く作業員へ届けた激励のメッセージカード)

  ▼気力が湧いてきた

 日々の生活がやっとで体力的にも精神的にも手が回らなかった。あとは自分たちででもできるという気持ちが湧いてきた。

(2011・5・12から埼玉県戸田市のボランティアが重機で漁港のがれき撤去作業をした石巻市狐崎浜漁協の関係者)

  ▼地道な積み重ねが復興に

 地道な個々のつながりの積み重ねが町の復興につながる。この小さな町でそれを大切にできなければ、大きな復興計画を掲げても所詮は失敗する。

宮城県気仙沼市唐桑町で20011年3月下旬から活動を続けるボランティア団体、フレンズ国際ワークキャンプ現地責任者の加藤拓馬さん)

  ▼応援を心に刻み

 飯舘は豊かな自然とおいしい食べ物があり、心優しい人でいっぱいの自慢の村です。その大好きな村から離れることは悲しい。応援していただいたことを心に刻み、どんなことにも負けないで力いっぱい頑張ります。

原発事故で全村避難の飯舘村の小学6年、高橋柊君。2011・5・26、ラオスベトナムからの応援メッセージが入った鯉のぼりのプレゼントされたお礼の言葉)

  ▼活気ある志津川

 海の安全と大漁を祈願した。みんなが頑張り、活気ある志津川水産業を取り戻したい。

(2011・6・10。津波で壊れた小型漁船の修理プロジェクトで第1号の漁船に乗った南三陸町志津川支所の高橋源一さん)

  ▼仮設に移っても支援が必要

 震災による関連死もある。避難所から仮設住宅に移ったからといっても目を離すことはできない。震災後3カ月、寒い季節から暑い季節になり、食欲もなくなふっているのではないか。

阪神・淡路大震災から仮設住宅に住む人たちを支援しているNPO災害看護支援機構の副理事長、黒田裕子さん。2011・3から岩手、宮城の被災地で支援活動)

  ▼お前が死ぬ時は

 おい、ひまわり、頑張れ。お前が死ぬ時は俺も死ぬ時だ。

宮城県気仙沼港と大島を結ぶ夜間の小型臨時船ひまわりの船長、菅原進さん。2011・3・11.大津波と格闘して助かり、孤立した大島島民のためにひまわりを自主運航。島民は菅原さんの勇気と温情を決して忘れないと感謝した)

  ▼わがままは復興の証

 被災者のみなさんの表情も以前より明るくなった。中にはわがままを言う人が出てきた。いままでは生きていくだけで精いっぱいだったのだから、わがままは被災地が復興してきている証なのかもしれない。

石巻市で移送サービスボランティア活動をしているReraの村島弘子さん。2011・8)

  ▼おもちゃの修理は難しくはない

 おもちゃの修理はそう難しくはないのです。おもちゃを動かす仕組みが分かればあまり時間もかからない。被災地の子どもたちをおもちゃで慰めてやりたい。

(被災地でおもちゃ修理のボランティアを始めた日本おもちゃ病院会長の嶋田弘史さん。2011・9)

  ▼明るさを取り戻した子どもたち

 直前までマスクをしていた子どもたちが、佐渡に行ったら明るさを取り戻し、けんかもやり本当の子どもの姿に戻った。

原発事故のため屋外で遊ぶことができなかった福島県の子どもたちのために夏休みに新潟県佐渡島でキャンプを開いたNPOりょうぜん里山がっこうの事務局長、関久雄さん。2011・9)

  ▼やってきたことを再開しないと前に進めない

 震災から立ち上がるために島全体が一体になった。高齢化が激しいが、島にある病院は石巻の日赤病院と連携しているので、みんな安心して暮らしている。自分たちがやってきたことを再開しないと前に進めない。

宮城県石巻市地島の海女、小野寺たつえさん。2011・10)

  ▼やることはまだまだある

 テレビで見た惨状が目の前にあって呆然となったが、必死にやってきた。やることはまだまだある。被災者に人が来なくなったねえと悲しそうな顔でいわれるのがつらい。

(ボランティアとしてカナダからやってきた横田花子さんと川崎の八木七海さん。2011・11)

  ▼天が与えた試練

 震災は日本人よ、もっとしっかり考えろと天が試練を与えたのかもしれない。このごろは、故郷は遠くにありて思うものというより、近くにありて慈しむものと思っている。

原発事故で全村避難の福島県飯舘村長の菅野典雄さん。2011・11・20東京で)

  ▼福島に活力を

 原発事故で福島県限界集落が増える可能性が高い。奥会津地方に残る生活の知恵、技、先輩たちの思いを次の世代に伝え、福島に活力を取り戻したい。

福島県昭和村のNPO苧麻倶楽部事務局長の尾崎嘉洋さん。2011・12)

  ▼わくわくする冒険の道を

 愛海ちゃん、あなたは日本人ですから、どんな困難にも打ち勝てます。だから悩まないで夢に向かって、わくわくする冒険の道を歩いてくださいね。

(2011年度日本科学協会主催の中国人を対象にした日本に関する作文コンクールで優勝した瀋陽市の東北大4年生、劉倩さん。作品は大震災で家族を亡くした岩手県宮古市の昆愛海ちゃんへあての手紙形式をとっている。2011・12)

  ▼一瞬思った人生の終わり

 救助犬とともに宮城県津波被害の現場に入り、生きている人を捜すのは難しいと思った。現場で原発が爆発したという情報を聞いて、一瞬、私の人生は終わったと思ってしまった。

NPO救助犬訓練士協会の大島かおりさん。2011・12月に開かれた東日本大震災の写真展で)

  ▼原発事故前より力強い姿に

 避難先の千葉県鴨川から福島に帰り、障害を持つ利用者に笑顔が戻り安心して生活ができるようにするのが私たちの任務だ。利用者が原発事故よりも力強い姿に戻ることができるよう、皆様の支援、助力をお願いしたい。

福島県福祉事業協会の山田荘一郎理事長。2012・3障害者のためのホーム開所式で)

  ▼運命は過酷だが

 災害や戦争で大事な人を亡くすと心に空白ができる。運命は過酷だが避けがたい。生き残ったことで自分を責め、光が見えないことで落ち込む。しかし時が流れるうち、柿の実が熟して落ちるように一筋の光が差してくる。

(作家の柳田邦男さん。2012・3・3被災地・宮城県東松島市の講演会で)

  ▼亡くなった家内が後押し

 仮設住宅にカナダやイギリスの大学生、日本の女子学生らが訪ねてきて、激励してくれました。一人でいる私を元気づけるために家内が後押しをしてくれたのかもしれません。若者たちの顔を思い出すと生きる希望が出てきます。

宮城県東松島市の武田政夫さん。津波で奥さんを亡くした。2012・3・3柳田邦男さんの講演会の語り部として)

  ▼解体する日まで最新の注意を

 早く復興することを願って支援してきたが、地元で頑張っている人と出会えたことは忘れることができない。ドイツから空輸された車が役目を終えて解体される2013年5月まで最新の注意を払って見守りたい。

三菱ふそうトラック・バス東北ふそう本部の斎藤安雄さん。2012・4。ダイムラーグループの特殊車両のメンテナンスなどを担当。)

  ▼6分間で変わった価値観

 たった6分間で何もなくなった。この大震災で価値観が変わった。これからは自然エネルギーの利用に挑戦し、地域のことを考えて活動をしていきたい。

岩手県一関市の味噌醤油醸造業、八木澤商店の河野和義会長。2012・5・1)

  ▼復興への歩みも映像で

 映像を通して石巻の現場の状況を多くの人に伝えることができ、しかも心を動かしてくれた。過剰な演出はせず、淡々と現状を伝えること、ギリギリまでシンプルに構成することを考えた。がれきが撤去されて被災地は復旧しているが、復興には長い時間がかかる。そういう部分を映像で伝えていきたい。

東日本大震災をテーマにした動画コンクールでグランプリを獲得した会社員、岸田浩和さん。2012・5)

                               (続く)