小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1707 感動の手紙の交換 骨髄移植シンポを聴く

画像

 命が大事であることは言うまでもない。人間にとってそんな基本的なことをあらためて考える機会があった。骨髄移植に関するシンポジウムでのことである。骨髄移植。日常的にはこの言葉を聞くことは少なくない。だが、その実情は私を含め、多くの人は知らないのではないか。人生は生と死かない。この世に生を受けた以上、だれもが幸福で豊かな人生を送りたいと思う。だが、そうは行かない。それをこのシンポジウムで痛感した。  

 9月16日、横浜市の神奈川県民センターで開かれた「今、ドナーに希望を求めて~あなたの勇気が命を救う~」という骨髄移植に関するシンポだった。総合司会を担当した友人が会員である「神奈川骨髄移植を考える会」が主催した。骨髄移植は、提供を承諾した人(ドナー)の骨髄細胞を取り出し、白血病再生不良性貧血など血液に関する難病の患者の静脈内に注入して移植する治療方法だ。友人もこの手術を受け、元気になった。  

 この日のプログラムは、東海大医学部の矢部普正教授(再生医療科学)による骨髄移植とはどんなものかという講演と、矢部教授も参加した骨髄移植の元患者・ドナーを交えたシンポだった。ドナー側は俳優の木下ほうかさん、移植体験者は池谷有紗さんという若い女性だった。コーディネーターを務めた大谷貴子さん(全国骨髄バンク推進連絡協議会顧問)も移植経験者だった。  

 池谷さんは大学在学中の2013年のある日、体調の異常を感じた。最初の病院では何でもないといわれたが、皮膚に湿疹ができたため診療を受けた次の病院で白血病ではないかといわれ、紹介された総合病院の検査で急性リンパ性白血病と分かった。池谷さんはすぐに骨髄移植を希望した。幸いだったのは、4カ月して骨髄バンクに登録した人の中から適合する骨髄を持つドナーが見つかり、移植を受けることができたことだ。  

 就活を始めようとした時期の突然の難病宣告。池谷さんの頭の中は不安で真っ白になった。だが、苦しい入院生活を乗り切り、ドナーに感謝の手紙を書いた。直接のやり取りはできないから、バンクを通じての手紙だった。池谷さんの感謝の手紙に対し熊本在住の若い男性のドナーから、私が聞いていても涙が流れるような、素晴らしい返事がきた。それは、相手が明るく前を向いて日々送っていることを感じさせ、生きる希望を与えてくれたのだ。  

 一方、ドナーの経験がある木下さんは、その動機を「大した理由はない」と謙遜した。木下さんには献血を生きがいのようにしている大阪在住の義兄がいる。その義兄の存在もあって木下さんも献血が趣味のようになった。少し間隔を開けると、何となく落ち着かない。そんな木下さんは、献血に行って骨髄バンクのポスターを目にした。何となくドナー登録をすると、適合する骨髄細胞希望者が見つかり、骨髄を提供する。移植を受けた人からなかなか手紙は来なかったから、木下さんは骨髄移植が失敗だったかと思った。

 しかし、1年ほど過ぎたころ、患者本人と奥さんから手紙が来た。その手紙は木下さんにとってとても大事なメッセージとなり、スマートホンの写真に残し、時々見ているのだそうだ。骨髄移植を受けた人とドナーとの関係は、「命のリレー」といわれる。それは臓器移植にもいわれることだが、絶望の淵に立つ患者にとって、ドナーの存在は希望の光といっていい。司会を務めた友人も、ドナーからの手紙は大事な「宝物」になっているという。  

 シンポの最後に、ある映像が流された。白血病を克服して、子どもが生まれたという幸福な人たちの映像だった。以前、白血病の患者は、結婚しても子どもが生まれないといわれた。抗がん剤放射線療法が妊孕性(妊娠する力)に悪い影響を及ぼすからだ。だが、最近は精子卵子の冷凍保存によって、子どもをつくることができるようになった。映像は、この方法で子どもができた人たちを映し出していた。それだけ医学が発達していることなのだろう。だが、病を克服しても失ったものを取り返すことができない元患者は少なくないはずだ。映像を見ながら会場で涙を流す人を見て、私も隣席の友人も悔しい思いをした。

1649 病床で見たゴッホの原色の風景 友人の骨髄移植体験記

1623 絶望の淵に立たされても 2つのエピソード

1048 夕焼けの雲の下にいる福美ちゃんへ あるコメントへの返事  194 死の哲学を聴講 千葉大でにわか学生の記