小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1223 「一九四五年に生まれて」 パーキンソン病とたたかう友人の静謐な文章

画像 知人が重い病気になった。現代の3大病といわれるものの1つだ。自覚症状がないままに病は進行し、知人の体を蝕んだ。知人から病の話を聞いて心が沈んでいるとき、パーキンソン病と闘う友人から、1冊の本が届いた。 「一九四五年に生まれて」(龍書房刊)という題がついたエッセー・コラム集である。

 この本に目を通して人生の奥の深さを感じ、人間の強さを知った。重い病と闘う知人も強い人だと信じている。 本の著者は伊佐木健さんだ。

 通信社記者として同時代を共に歩んだ。彼は記者として最盛期を迎えたころ難病のパーキンソン病に侵された。55歳で通信社を去り、フリーの生活に入った。重い病を抱えながら執筆意欲は消えることなく、高まっていく。近年、その著書は4冊になり、さらに今度の本で5冊を数えた。

 この本は文芸誌「雲」に掲載されたエッセーとコラムをまとめたものだ。第1章の「憧憬そして旅」から第2章「言葉―解体することなく」第3章「わがデモクラシー」第4章「生きるということ」の計97本の文章を読むと、一人の人間として何を考え、どう行動したのか、伊佐木さんの真摯な生き方が伝わってくる。

「私の旅はいつも感傷旅行だった」(レイク・ルイーズのほとりで)と、伊佐木さんは書いている。パーキンソン病になってからも、その気持ちに変化はないのだろうか。北京やベトナムへの旅で、車いすに乗った伊佐木さんは、思わぬ善意に驚く。

 万里の長城ではチャーターしたタクシーの運転手が伊佐木さんを背負い、階段を登ってくれ、故宮の坂道では韓国やカンボジアの若者が車いすをかついでくれた。 ベトナムハノイホーチミン廟では4人の衛兵が伊佐木さんの乗った車いすを抱え上げ、階段を上り下りして、出口まで運んでくれた。

 さらに、広島で開催されたパーキンソン病友の会の総会に参加した伊佐木さんは、明るい雰囲気に感動し、「この病気と闘うにはやりたいことをやり、前に出ていく積極的な生き方をすることが一番」と考える。 伊佐木さんは学生時代から堀辰雄を愛した。この本にも堀への思いが幾度となく書かれている。

「時局におもねることなく、自らの世界を構築した堀辰雄の強さ。堀文学の輝き(と栄光)は、その強さに支えられているのだ」という文章を読んで、私も堀の本を読み返したくなった。

 理研小保方晴子さんが発表した「STAP細胞」について、その論文の記述に不正があったとして、万能細胞自体の存在に疑問符が付いた。パーキンソン病患者である伊佐木さんは、2012年にノーベル医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥教授のips細胞について「さまざまな難病とたたかっている多くの人たちに、大きな希望や励ましを与えた」と書き、「ただ、私たちは冷静になる必要がある。難病患者にとっては完治の可能性が大きくなったものの、ips細胞を使った治療法が確立したわけではない。だから、その実現まで粘り強く病と闘わなければならない」と、呼び掛けている。今回のSTAP細胞をめぐるメディアの騒ぎを伊佐木さんは冷めた目で見つめていることだろう。

 現在、第2次安倍政権が日本の戦後社会を大きく転換させようと動いている。それが隣国の韓国、中国と摩擦を生んでいる。2006年、安倍氏が首相になった際、伊佐木さんは「時代は転回してしまった」と感じたという。(第3章・時代より)その思いは昨今の政治の動きを見ていてさらに強くなっているに違いない。

 伊佐木さんの文章はいつもみずみずしい。「私には、自らは永遠に20代であるという強固な自己意識が存在しているようにも思う」(第4章・年齢記入より)を読んで、その理由が分かった。「今の私は恐怖の60歳の主な原因が持病のパーキンソン病であるなら、それを自らの人生の条件として受け入れる。そして、覚悟を決めて永遠の20代を生きる戦いを続けたい」という思いは、同じ時代を歩んだ私も共感を覚えるのだ。

 伊佐木さんは第4章で生き方の根源(いかに生きてきたか=いきるか)ついて触れている。青春時代に「人生とは自己否定と乗り越えの連続である。人生に意味はない。しかし、意味を与えることはできる」と書いた伊佐木さんは、現在「自らの人生を検証してみよう。そのような歳に私はなったのだ」と述懐している。

 最後のコラムを読み、私はそうだと思った。

「一九四五に生まれて」の結びで「私はデモクラシー=戦後民主主義の側に立って、世の中を暗くする動きに抗し続けたい。それが一九四五年に生まれた者の使命だ。私は人生の後半にパーキンソン病という厄介な物を背負い込んでしまった。これは運命として受け入れるほかはない。難病とたたかい、共生しつつ、残された時間も、自ら択んだ拠点に立って力を尽くそう」という決意である。

 それは決して声高ではなく、静謐ささえ感じる文章だ。同じ年に生まれ、境遇こそ違っても、人生の中心的時代を共有した私には、伊佐木さんの決意、思いは心に沁みた。

 写真 1、伊佐木さんの本 2、千葉県いすみ鉄道の菜の花の風景

 これまでの伊佐木さんの本に関するブログ

パーキンソン病に侵されても それでも、なお頑張りを

 

画像