小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1037 出会った人たちの言葉(6)完 趣味に生きるよりは

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(2011年-2012年9月までの分、東日本大震災関係は1回目に掲載。肩書きは当時のまま)

  ▼ろう者には独自の言語と文化が

 ろうの子どもを持つ親は、特別なことを教える必要があると思ってしまうが、普通にやればいい。ろう者には手話という日本語の読み書きとは違う言語・文化があることを忘れないでほしい。(2011・1 聴覚障害の子どもたちのために日本手話を第一言語に、日本語の読み書きを第二言語として教えるバイリンガル教育をと訴える札幌市の松岡良治さん)

  ▼園児は寒くとも裸足で

 畑で野菜を育て、川で水遊び、山での栗拾い、冬は雪遊びというような里山教育をやっている。園児は寒くとも室内では裸足で頑張っている。自然に触れ、体を鍛えることが豊かな情緒を育てることにつながると信じる。(2011・1 はだしの保育園といわれる北海道夕張市の緑ヶ丘保育園園長・菊池静子さん)

  ▼105歳で再会を

 私は間もなく100歳になるのに元気です。声も出るし、片足立ちもできる。私を見て100歳まで生きたいと思いませんか。105歳になったら再び学園に来ることを約束します。(2011・2 日野原重明聖路加国際病院理事長。ろうの子どもたちにバイリンガル教育をしている東京の明晴学園の出前授業で)

  ▼趣味に生きるより人の役に

 民法学者・末川博さんの人生3分割論を実践している。生まれてから25歳までが人の世話になる期間、25歳から50歳までが世の中に尽くす期間、そして50歳から75歳までの自適の期間だ。私はこの3段階目にいる。趣味に生きるのではなく、自分の思う通りに生きようとホームレスの再チャレンジを支援している。(2011・1 琵琶湖の固有種の魚、ホンモロコ養殖でホームレスの自立支援をしている高橋英夫さん)

  ▼生まれ育ったベトナムのために

 自分が生まれ育ったベトナムの人々のために働けることを誇りに思っている。みなさんも大きくなってだれかのために仕事をするようになったら、それがどんなにうれしいことか分かるようになると思う。(2011・7 ベトナムのNGO代表、カー・バン・トランさん、東京の小学校での授業で。ベトナム戦争当時、ボートピープルとして米国に渡って実業家として成功、現在はベトナム辺境地区の学校建設などに取り組んでいる) 

 ▼立派な森復活を願って

 東京から北海道にやってきて、函館が気に入った。一人暮らしも支障がない。砂防工事で失ってしまった樹木を植え、森を再生しようというプロジェクトは15年という長期計画だが、50年後には立派な森になるだろう。(2011・7 函館と七飯町の境界を流れる蒜沢川流域の再生活動を進める元朝日新聞記者の景山欣一さん)

  ▼私たちを抜きに決めないで

 障害者の大多数は自らの権利を守ることができないでいるが、私たちのことを決めるに当たっては、私たちを抜きに決めないという姿勢が基本だ。障害者のコミュニケーション手段を確保するために、障害者それぞれが手段を自由に選んで意思疎通が図ることができるよう、環境整備を図ることが大切だ。(2011・10EUの議会組織、欧州議会唯一の聴覚障害者議員、アダム・コーサさん=ハンガリー=、参院議員会館で開催のヨーロッパの障害者政策という講演で)

  ▼発達障害はその人の個性

 発達障害の子どもたちが急増している。発達障害はその人の個性であり、それを受け入れない社会こそが問題だ。私たちが見捨てないという心で子どもたちを見守っていくことが大事で、大人が子どもに対するまなざしを優しくして、この国から虐待がなくなることを願っている。(2011・11 北海道大学大学院子ども発達臨床研究センターの田中康雄教授)

  ▼海洋生物に温暖化の影響

 ウミガメはかわいい。別れる時がつらい。最近は体に奇形があるものも少なくない。ウミガメの調査でサンゴの群生しているのを見つけた。大分の北限と思われていた地区より10キロも北で、地球温暖化の影響が海洋の生物に出ていることを実感した。(2012・1 大分県の海岸でウミガメの保護活動をしていうNPOおおいた環境フォーラムの内田桂さん)

  ▼68歳でNPO設立

 京都の障害者施設を見学したとき、そこで働く障害者の生き生きした表情を見て、私も障害者のためにやってみようと、68歳で就労支援のNPOを設立した。いまは23人の障害者が働いており、バス会社経営とNPO運営という2つを両立させる選択は間違っていなかったと思う。(2012・1 富山県高岡市NPOすこやか26の作道和宏さん)

  ▼難病の子どもたちのキャンプ場に人生かける

 難病と闘っている子どもたちのための医療付きキャンプ場づくりに人生をかけている。ボランティアたちの協力を得て、このキャンプから医療や福祉の新しいあり方を発信したい。(2012・3 北海道滝川市の公益財団法人さらぷちキッズキャンプの佐々木健一郎さん。キャンプは5月に完成した)

  ▼親のような世代の人たちと

 兄の影響で国際協力に興味を持った。海外青年協力隊員としてカンボジアに行き、その後別のNPOに入りアフガンのカブールで地雷処理専門家を育てる仕事もやった。親のような世代の人たちと協力して日本の技術を伝える仕事は、その人たちの社会経験や生きてきた道が見えるようで毎日が楽しい。(2012・4 フィリピンに派遣されたシニアボランティアの世話に当たる奥村信司さん)

  ▼美しい棚田に惹かれて

 大学の教育実習でたまたま行った夕暮れ時の赤く染まった棚田の美しさが息をのむほどだった。地元の人が、後継者がなく5年で棚田はなくなってしまうと嘆くのを聞いて、保全活動をやろうと思った。棚田で収穫された米は他の田んぼのものよりおいしいことを知ってますか。(2012・5 兵庫県市川町を中心に棚田保全活動をしているNPO棚田LOVER’sの永管裕一さん)

  ▼本質を見抜きNPOを目指して

 NPOをやりたいと思っている学生は少なくない。物事の本質を見抜き、そのサービスが商品として成り立つかどうかを見極めることが大事だ。NPOの世界は人の移り変わりが激しく、私自身もいまでも怖いという意識がある。(2012・5 NPOの設立や起業支援をするNPOソーシャル・デザイン・ファンドの金森康さん)

  ▼愛情だけでは子育てはできない

 ファミリーホームとして6人の子どもを引き取り、育てている。以前里子として一緒に生活していた男の子が非行に走り、この家を出て行ったことが忘れられない。愛情だけでは、子どもを育てることはできないと痛感した。(2012・5 広島県呉市の稲垣ファミリーホームの稲垣りつ子さん)

  ▼信楽焼きイメージしたぽんた焼き

 景気がいい時代は信楽焼きの事業所で働く障害者が多かった。しかし、景気の後退でその職場がなくなったときに、たぬきをイメージした「ぽん太焼き」という焼きまんじゅうを考え、障害者の就労支援に活用した。陶器祭りのときには1日で1200個も売れる人気商品です。(2012・5 社会福祉法人しがらき会の上田清樹さん)

  ▼夫婦で野生アザラシの救護活動

 弱ったアザラシを助けようという思いから、野生アザラシの救護活動を始め、夫婦で

海の環境問題を調査している。十勝沖では東日本大震災前は流木しか漂着しなかったが、震災後はがれきやカキ養殖用のブイも流れ着いている。(2012・6 北海道池田町の漂着アザラシの会の千嶋淳さん、夏子さん夫妻)

  ▼オリーブ栽培で障害者支援

 障害者の労賃をもっと高くするにはどうしたらいいか考え、農業大学校に通ってオリーブの栽培を思いついた。最終的に4000坪の土地に5000本を植えたい。障害を持つ子どもにとって、いちばんいいことを考えてやるのは福祉団体の責任だ。(2012・8 新潟市で障害者の就労支援のためにオリーブ栽培を進めるNPOひなたの杜の橋元雄二さん)

  ▼全国で五島が一番

 農業支援のNPOで全国150カ所以上回ったが、五島が一番だと思った。移住を決心し、雨露をしのぐための家を探していたら、廃校に行き着いた。学校の再利用は村の活性化につながる。学校の再生だけでなく限界集落や離島の再生のために役立ちたい。(2012・9 東京から長崎県五島の廃校に移り住んで、島興しをしている五島ファンクラブの濱口孝さん)

                          (終わり)