小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1002 スピリチュアリティと自分探しの旅 パウロ・コエーリョの「星の巡礼」 (サンチャゴへの道)

画像 スペイン・サンチャゴ(サンティアゴ・デ・コンボステラ)への巡礼の旅を描いた「星の旅人たち」は、分かりやすい映画だった。それに比べると、パウロ・コエーリョの小説「星の巡礼」は、同じようにサンチャゴ巡礼の話とはいえ、スピリチュアリティ霊性)という超自然的なものを求めるのがテーマであり、難解な内容だ。

 以前読んだ池澤夏樹の小説「光の指で触れよ」にも、ヨーロッパでのスピリチュアリティに関する話が出てきたが、この方面に縁がない私には、読み終えるのに時間を要した。 この本は、パウロ・コエーリョ(ブラジルの作家)の体験を基にした自伝的作品だそうだ。

 訳者(山川紘矢、亜希子)によれば、霊的な探求に興味を持つ作者は、オカルトや錬金術、魔法などの神秘的なものを探求するうち、RAM教団というスペインのキリスト教神秘主義の秘密結社に入り、教義を学んだ。マスターと呼ばれる師から口頭で秘儀が伝えられ、いくつかの審問に合格すると魔法使い(マガス)になれるのだそうだ。

 作品は、この最後の試験に落第し、奇跡の剣を手にすることができなかった著者が再挑戦のためイタリア人のガイドとともに「星の道」といわれる巡礼の道を歩く姿を描いている。滝を上る話、犬との戦い、十字架を立てる話など不思議な体験が登場し、求めていた奇跡の剣が何であるかを悟るストーリーである。ガイドの指示で旅の途中に重ねるRAM教団の実習について、各章の終わりに紹介されている。霊性を求める行為なのだろうが、私はやってみようとは思わなかった。

 本の中でガイドは「サンチャゴへの道は、一度巡礼を始めたら、やめることができるのは病気になった時だけという了解事項がある」と語っている。実際にそうなのかどうかはわからないが、いずれにしても800キロ(この本では、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーとサンティアゴ・デ・コンボステラの大聖堂間を700キロと表記)にも及ぶ巡礼の道を歩く根気は、並大抵なものではない。

 それを以前に敢行した知人の一途さにあらためて感心した(知人はそれ以前に、日本の四国巡礼の旅をし、88カ所、1200キロを歩き切ったそうだ) この本の解説を担当した俳人の黛まどかは、作者のパウロ・コエーリョと知り合い、一緒に1週間ほどのヨーロッパの旅をしたそうだ。

 その間にいくつかの不思議な体験をしたことを紹介している。 黛は「サンチャゴ巡礼は実際に存在し、パウロが巡礼の途上で体験したことはすべてが事実であり、真実だ。そしてそれらの不思議な現象が、21世紀を目前にして(初版は1998年)広く人々に受け止められ、語られるようになってきているということもまた事実である。

 サンチャゴ巡礼(夢へとつづく道)は、屈強な人々だけに許されているものではなく、年老いても、病床にあっても、夢を見いだし、追求しようとする誰もに拓かれている」と書いている。いわば、自分探しの旅の勧めともいえようか。 私自身も、夢を求める道をいつまで歩き続け、あるいはその姿勢を維持し続けたいと思う一人だ。パウロ・コエーリョも、この本を通じてそれを言いたかったのではないか。