小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

965 急ぐ身でも心和む新緑 信楽高原鉄道の短い旅

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 一両編成の信楽高原鉄道に乗った。貴生川―信楽間14・7キロ。わずか23分という短い旅だ。山間を走るのどかな単線の鉄道で、21年前の1991(平成3)年5月14日に大惨事として記録に残る列車同士の衝突事故(42人が死亡し、614人が重軽傷を負った)があったことが信じられない。行きも帰りも車両には私を含めて数人の乗客しかいない。

 車窓の外には新緑がどこまでも続いていた。 信楽は2004年に信楽町甲賀町など5つの町が合併して甲賀市(こうかし)になった。信楽焼きと甲賀(こうが)忍者の街として知られている。市の呼び方は「こうが」か「こうか」でもめた末に、郡名の呼び方の後者になったという。信楽は、縁起もののたぬきの置物で有名だ。

 愛嬌あるたぬきが高原鉄道の列車側面にも描かれている。 昨年乗った会津鉄道会津線の車両には野口英世の写真が入っていた。地方の鉄道は個性があって面白い。私は大津方面からJRに乗り、酒井順子著「女阿房列車」という文庫本を読みながら貴生川までやってきた。ここで高原鉄道に乗り換え、本はかばんにしまい、窓の外を流れていく景色に見入った。列車は森の中を走っている。

 当然、木々の新緑が目に優しく飛び込んでくる。 酒井は様々な鉄道の旅に挑戦し、この本を書いた。以前に読んだ下川祐治の「世界最悪の鉄道旅行」に比べスケールはそうでもないが、鉄道の旅の愉快さを軽妙な筆致で描いている。2人は本を書くために鉄道に乗り、面白い体験をする。一方で、私のようにただただ、先を急ぐ旅をしている人間もいる。そんな旅でも沿線の美しい風景には心がなごみ、地元の人の話にはつい耳を傾ける。今回は短い乗車時間ゆえに、他の乗客と話をする機会もなかったが……。

 事故以来、高原鉄道の経営は揺らぎ、赤字経営が続いているそうだ。東日本大震災で壊滅的打撃を受けた宮城県のJR気仙沼線の55キロにわたる不通区間がバスの専用道となるという新聞記事が出ていた。福島県白河市棚倉町を結ぶ24キロのバス専用道「JRバス白棚線」も戦前は鉄道だったが、1957年バス専用道(当初は白棚高速線)として、再スタートを切っている。このように地方の鉄道路線の継続は容易ではなく、高原鉄道も行く末は厳しいのではないかと推測する。

 少し時間があったので、紫香楽宮跡駅で線路の写真を撮った。それが最初の写真である。人影は少なく、時間がのんびりと流れている。八重桜が満開だった。この辺は夏でも朝夕は涼しく、冬は氷点下の寒さになるというから、やはり「高原」なのである。この街には、池田太郎という障害者の自立支援に生涯をかけた人物がいた。池田は、障害者が地域に溶け込んで生きることができるよう、信楽焼きの現場に障害者を送り込んだ。

 たぬきの置物は、障害者たちの汗の結晶でもあり、池田の後を継いだ人たちがこれをイメージした「ぽんた焼き」という焼きまんじゅうを障害者とともに製造販売し、信楽の名物になっているそうだ。 

 

 

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