小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1004 日本一住みたい場所は? 長崎・五島への旅

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 日本一住みたい場所はどこかと聞かれたら、何と答えたらいいのだろうかと悩んでしまう。住めば都という言葉がある通り、自分が住んでいる地域が気に入っている人は少なくないだろう。原発事故で故郷を追われた福島の多くの人たちは、自分たちの故郷が日本一住みたい地域と思っているに違いない。

 そんなことを考えながら長崎・五島を旅し「五島が日本一住みたい場所だった」と言い切ったIターンの人と出会った。全国150カ所を歩いたというこの人は、五島の魅力を教えてくれた。 数えてはいないが、私も日本の各地を旅しているし、東京以北では住んだ街も少なくない。

 だが、140余の島から成る五島列島への旅は初めてだった。五島列島のうち最大の島は福江島五島市)だ。五島を訪ねた目的の一つは福江島の北端にある旧奥浦地区・半泊という小さな集落だった。 福江の中心部から車で40分と聞いた。対向車が来たら道を譲るために設けられたスペースまでバックしなくてはならないほどの細い山道だ。この山道に入ってから、目的地が分からなくなった。

 カーナビも携帯電話も使えないのだ。 どんどん道を進み、いつしか山を下り、海まで行ってしまった。そして、道は行き止まりだった。仕方なく、Uタンし、山道を上ると初めての車に出会った。相手の車の若い女性が後退し、道を譲ってくれた。窓を開け、濱口さん宅を訪ねると、いま私が入ってきた所ですと教えてくれた。

 40分のはずが1時間20分くらいかかり、目的地に着いた。 そこには廃校を利用して五島ファンクラブという島の活性化活動をしている濱口孝さんがいた。濱口さんは現在58歳。2007年から半泊に住んでいる。

 無農薬の米作りを支援するNPOにいた濱口さんは、その仕事で全国150カ所を歩いた。そんな旅の途中、五島を訪問し衝撃を受けた。五島・福江空港に降り立った濱口さんはこれまで味わったことがない不思議な感覚になった。島の風景を見て気持が落ち着いたのだ。それはどういうことなのだろうか。

「五島には500メートル以上の山はなく、この山並はフレンドリーだ。心が和み、ここだと思ったのです」。空港での印象をこう語る濱口さんは、迷うことなく五島への移住を決心し、2008年2月に東京から移り住んだ。 田舎暮らしを堪能している友人は少なくない。そこには限りない魅力があるのだと思う。五島もそうだったのだろう。

濱口さんは半泊はひときわ魅力があると説明する。濱口さんが活動をする廃校を訪ねて、その思いを理解した。 山あり(低い)、海あり(美しい)、教会(半泊教会)ありの生活。田んぼもあり、魚はいつも食べきれないほど取れるそうだ。廃校を再生し、半泊の活性化を目指している濱口さんは、田舎暮らしが楽しくて仕方ないという。

 細い道の運転(レンタカー)は気を使ったが、濱口さん宅でおいしいコーヒーをいただき、その緊張はいつしか解けていた。近くには言われなければ教会と気がつかないほど十字架が目立たない半泊教会があった。その前は海が広がり、波の音が心地よく聞こえてきた。地方には濱口さんのような、個性ある生活を送っている人は少なくないのである。 学生時代、五島列島出身の友人がいた。

 社会人となってから消息は途絶えたが、初めて五島の土を踏んで彼を思い出した。ナイーブでさわやかな印象が強かった。人を和ませる力がある五島の風土が彼を育んだのだろう。海からの涼風を感じながら濱口さんが住む廃校に別れを告げ、狭い山道に戻った。車から見える半泊の海には人影はなかった。東京へ出た友人は、故郷の五島へ戻ることがあったのだろうかと思った。