小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1003 3・11日本の新聞は敗北した NYタイムズ東京支局長の新聞批判

画像東日本大震災東京電力福島第一原発事故に関して、おびただしいニュースが流されたにもかかわらず、特に原発事故の報道にはいらだちを感じた。事故をめぐって日本のマスコミ、その中心である新聞の報道は頼りなかった。原発メルトダウンやSPEED(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク・システム)という重大な情報は隠され続け、真相が報道されたのはかなり経てからだった。太平洋戦争当時の大本営発表を思わせる記事が主流を占め続けたからだ。 マーティン・ファクラーニューヨークタイムズ東京支局長の「『本当のことを』伝えない日本の新聞」という本を読んで、あまりにもその指摘があたっていることに愕然とした。日本のマスコミは、何をやっているのかと思う。 私は常日頃から、「日経新聞を真面目に読むのはばかげている」「就活の学生が急に日経を読み始めるなんて、滑稽だ」だと公言している。冗談ではなく、本当にそう思っている。ある時、喫茶店で知人を相手にこの話をしていたら、ビジネスマンらしき中年の男性がこちらをにらんでいることに気が付き、声を小さくして話し続けことがある。 私のその主張の答えは、この本にも書いてある。 『日経は日本におけるオンリーワンの経済紙といっていい。大手町あたりで働きながら、日経を読んでいないビジネスマンは周囲から特異な目で見られることだろう。だが、なぜ日本のビジネスマンが日経をクオリティペーパーとして信頼するか理解しがたい。日経の紙面は当局や企業のプレスリリースによって作っているように見える。これはまるで大きな「企業広報掲示板」だ。大量のプレスリリースの要点をまとめてさばいているだけであって、大手企業の不祥事を暴くニュースが紙面を飾るのは稀だ。日経は日本興業銀行と第一勧業銀行、富士銀行の合併(1990年度)、UFJ銀行と東京三菱銀行の合併(2004年度)で2度の新聞協会賞を受賞しているが、銀行の合併を他社より少しだけ早く報道したことに何の価値があるのだろう。日ごろから財務省や銀行の担当者といかに仲良くしてきたかが物をいうだけでジャーナリストとして意味のある仕事ではない』 その通りであり、大震災や原発事故に関して日経の存在感は薄かった。一方マーティン記者は震災後直ちに被災地に入り、現場取材を徹底し、原発事故の被災地、南相馬にも入っていく。現場を大事にする記者としての思いがこの本には出てくる。 彼は日本の報道機関を批判するだけでなく、自分が所属するニューヨークタイムズの過ちについても遠慮なく書いている。2001・9・11テロに対し、アメリカがイラクに対し報復攻撃(2003年3月20日)をかける。その拠り所になったのが、2002年9月8日、ニューヨークタイズムがフセイン政権の大量破壊兵器が存在するという核開発疑惑を報じた記事だった。結果的に、イラクが核開発をしているという証拠は見つからなかった。それどころか、この記事の情報源は当時のチェイニ米副大統領のスタッフだったことを、この本は暴露している。 マーティン記者は、日本の新聞報道を駄目にしているのは記者クラブ制度だと言い切る。その結果が原発事故で真実を暴き出せなかったと、さまざまな例を挙げて批判を続ける。「よいジャーナリストには正義感(悪に対する人間的な怒り、義侠心)が必要だ」とマーティン記者は、先輩から教えられたと書いている。記者を目指すものには常識なはずだが、現在の日本の新聞紙面(特に読売、日経、朝日)から、そうした怒りを感じる記事はほとんどない。唯一、東京新聞の紙面は面白い。この本でも「東京新聞の紙面からは、記者の顔と声が伝わってくる」と紹介されている。 「日本の新聞 生き残りの道」という提言には、耳を傾けるべき点が少なくない。その中で「地方紙にこそ大きなチャンスがある」や「記者クラブ型メディアの時代は間もなく終わる」という指摘は、注目に値する。マーティン記者は「日本は東日本大震災原発事故によって第2の敗戦を迎えた」とも書いている。その中で新聞が果たすべき役割は大きいはずだが、多の報道機関では気骨ある人材が排除される傾向が強くなっていると聞く。マーティン記者の問題提起を読んで、て新聞の危機は続くのではないかと思わざるを得ないのだ。