小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

942 春を告げるメロディー 心弾む季節は遠く…

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 ことしは「早春賦」という歌=春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず 時にあらずと 声もたてず=のように、春が来るのが遅い。 うぐいすは「春告鳥」とも言うが、うぐいすが鳴かないと春が来た感じがしない。

 ようやく今朝、うぐいすの鳴き声を聞いた。初音である。春が近づいていることを実感する。 例年なら2月下旬には聞いているので、かなりの遅刻である。うぐいすさんはどこでさぼっていたのでしょうか…。

 犬の散歩をしていて、いつもの調整池の脇の雑木林から一鳴き、二鳴き遠慮がちな春を告げるメロディーが耳に入った。今朝は暖かい。例年、3月のいまごろは、こんなふうだと気がついた。

 室生犀星が「鶯のうた」という面白い詩を書いている。

≪春はいいね けれど春は おなかがへるね 金平糖のやうな 虫がゐないかね。 春はいいね 枝からすべっても いたくないね。 朝から泣いてゐると 声がだんだんよくなる。 ひと声なくと 隣近所の庭が明るくなる。(動物詩集より)≫

 散歩コースのうぐいすは、どんなことを思いながら鳴いているのだろう。うぐいすの鳴き声につられるように、街路樹の白モクレンの花芽もかなり膨らんできている。間違いなく、春が刻一刻近付いてきていることを示している。

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 先日、原発事故で不安が続く福島県を歩いた。まだ冬が居座り、冷たい風に体が震えた。話を聞いた一人は南相馬に住み、家族は北海道に避難して逆単身赴任状態だと言っていた。この家族が一緒に生活できる日がいつ来るか、全く見通しは立たない

 。原発事故の深刻さに言葉もない。 そんな中で関電大飯原発の再稼働に動く野田政権の姿勢に暗然とした気持ちになる。被災地の春はまだ遠く、被災地から離れて住む者にとってもいつもの春のように、心弾む季節にはならない。