小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

926 言葉の海に生きる 震災を語る2冊の本

画像 東日本大震災を書いた2人の芥川賞作家の本を読んだ。順に書くと玄侑宗久の「福島に生きる」と辺見庸の「瓦礫の中から言葉を」だ。 玄侑は文字通り福島に生まれ、いまも福島の三春で生活をしている。

 後者の辺見は同じ被災地でも、津波の被害が最大だった宮城県石巻で生まれ育ち、いまは故郷を離れている。玄侑と辺見では辺見の方が12歳年上だ。しかし、若い僧侶の玄侑の本からは静かな怒りを感じ、年長の辺見の本からは激しい怒りが伝わる。

 玄侑は、前の菅内閣に請われて東日本大震災復興構想会議委員に就任し、復興策を提言した。「これまでになかった問題を無数に抱えた福島は、今や明らかに日本のフロンティアである。ここから、放射線医療も研究も、あるいは新しいエネルギーや食糧問題などについても、多くの技術革新が生まれてくるに違いない」と、この本の中で玄侑は言う。

 そうありたいと思うが、野田内閣の実態を見ていると、玄侑の思いはたやすくは達成しないのではないか。それは「18歳以下の子どもの医療費を無料に」という福島県知事の野田首相への要望がほぼ実現しないことでも実証された。

 辺見は新聞記者時代から言葉を大事にした。故郷が、ゆかりの人たちが津波にさらわれて、姿形がなくなった。さすがの辺見も失語症のような状態が長く続いたことをこの本で知った。

 このブログのリンク集にある「風を待ちながら」の筆者である「空さん」は、以前の私のブログ「東日本大震災と文学・詩 比喩が成り立たない」に次のようなコメントを寄せてくれた。

「『3.11以降、詩が書けない』という言葉は即、アドルノの『アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である』につながっていると思いました。アドルノの言葉は、文化と野蛮の問題を徹底的に考え抜いた末に出たものだと思いますが、情緒的な日本人としては、今この時明日いかに生きるかという差し迫った状況に置かれた人々を前に、『詩を書く』という『余裕』を己に対して許すことができないのだと思います。でも甘いことを言わせて頂ければ、詩はパンドラの箱から最後に飛び出した希望のようなもの…と考えたいです」

 これに対する私の返事。

「詩人の河津聖恵さんも自身のブログでこのことに触れていましたね。辺見庸和合亮一のように、震災後も詩を書き続けている人たちもいますし、詩の力を感じます。大震災後多くの日本人がPTSD=心的外傷後ストレス障害を起こし、無気力になったことも見逃してはならないと思います。パンドラから最後に飛び出した希望…のようなものという指摘、そう信じたいですね」

 辺見の本からは、言葉を必死に探る作家の姿が浮かび上がる。さらに、大震災にたじろぎ、明確な言葉を発することができなかった現代日本の文学者、科学者のひ弱さを感じ取った。救いは辺見の、言葉の豊饒(ほうじょう)さである。まさしく彼は言葉の海に生きているのではないかと思う。画像