小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

911 命はいつか尽きるのだが… 高田の一本松・わが家の五葉松に思う

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 先日、岩手県陸前高田市高田松原の「奇跡の一本松」が海水などの浸食で根が損傷してしまったため、保存を断念するというニュースが流れた。東日本大震災の復興のシンボルといわれただけに残念でならない。

 動植物を問わず命はいずれ尽きるものだから、仕方がないことなのかもしれない。それでも、やはり悔しいと思う。 知人から、25年前の高田松原の写真を送ってもらった。ここには7万本の松があったという。

 写真からはそんな美しい松原を想像することができる。だが、この松原が巨大な津波に襲われ、根こそぎ海の藻屑になり、残ったのはたった1本だけだった。保存のためにあらゆる手立てが取られたにもかかわらず、塩水によって根が腐り、枯死状態に至った。自然の過酷さを物語るつらいニュースだ。

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 私が生まれ育った家の庭にも、思い出に残る松があった。種類は「五葉松」で、樹齢数百年という老木だった。樹高は12、3メートルくらい。品があり、わが家の庭ではいちばん目立つ木だった。幹は長い年月の風雪に耐えていたが、いつの間にか、大きな空洞ができていた。 ある年から、その穴にふくろうが住みついた。卵を産み、ヒナがそこからふ化したらしい。

 数年後のある日の朝、私と兄は五葉松にはしごをかけた。ふくろうがどこかに飛んで行っていないことを見越し、交互にはしごに乗ってふくろうの穴に手を突っ込んだ。中には卵があった。その卵は3つくらいあり、私たちは卵を取り、朝食に卵かけご飯にして食べてしまった。

 その後、ふくろうがいつまでこの松に卵を産んだかは覚えていない。 私は成人前に家を離れた。さらに何年かが過ぎたころ、台風でこの五葉松は根元から横倒しになった。 植木屋さんに頼んで、倒れた松は元に戻し、傷ついた幹と枝には保護用のわらが巻かれた。その結果、元気を回復するかに見えた。

 たしかに新しい葉がて出て数年は持ちこたえた。だが、それは最後の輝きだった。次第に松は元気を失い、枯れてしまった。 台風も津波も自然現象であり、高田の一本松もわが家の松も、逆境と戦い精いっぱい生きたといえるだろう。

 ところで、野田首相が昨日記者会見し、福島第一原発について「事故対応表のステップ2を達成し、冷温停止状態となり、事故そのものは収束した」と発表した。朝刊では「原発事故収束宣言」という見出しを取った新聞もあった。

冷温停止」ではなく、「冷温停止状態」というあいまいな表現にだまされてはならない。 「収束」は「おさまりをつけること」(広辞苑)という意味だ。原発事故におさまりがついたと思う国民はいるのだろうか。

 原発を含め、東日本大震災は収束には程遠いのが現状ではないか。津波を乗り越えたはずの「奇跡の一本松」の枯死は、復興への歩みが長くて厳しいいばらの道であることを象徴しているように思える。