小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1011 共通する叫び・ムンクと飛鳥さんの絵 東日本大震災から1年半に思う

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 きょうで東日本大震災から1年半が過ぎた。先日、大きな被害を受けた宮城県石巻市の沿岸部に行ってきた。がれきが撤去された中心部から沿岸部に入ると、津波で壊されたままの数多くの廃屋がそのまま残っていた。人が戻ることがないこの地区が将来どのような姿になるのか、よく分からない。責任を放棄したような昨今の政治の姿をみていると、被災地の復興は、生易しいものではないと考え込んでしまう。

「市長は力がないし、市役所の職員は昼間からパチンコをやっているのだから、この街の復興は進まないよ」。「石巻の復興は進んでいるか」という質問に対し、タクシーの運転手さんは、こう答えてくれた。

 沿岸部の工場は操業を再開したところもあるが、廃屋が延々と続く風景を見ると、復興の道のりが遠いと思わざるを得なかった。ましてや原発事故の福島の復興はもっと険しい。原発難民は明日への希望が持てない避難生活が続くだろう。 あきれたことに政界は駆け引きを繰り返して、消費税増税法案のみを成立させただけで残る重要法案をほとんど審議せずに、国会は閉会。責任放棄、無責任政治がまかり通る時代になってしまった。

 そして民主党自民党とも党首選び(民主の代表選、自民党の総裁選)に明け暮れている。こんな政治の姿に虚しさを感じるのは、私だけではないだろう。 明日12日、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が伐採されるという。この後、一本松は9分割されて名古屋市の工場に送られ、幹はくり抜いて防腐処理し、カーボン製の心棒を入れる作業のあと、来年2月中ごろコンクリートの基礎工事を施した現在の場所に復元されるそうだ。

 私はまだ奇跡の一本松の現地には行っていないが、最近、この松を描いた絵を岩手県立美術館で見た。 陸前高田市に住む知的障害者の田崎飛鳥さん(31)の「希望の一本松」という作品だ。子供のころから絵を描き続けている田崎さんは、東日本大震災で自宅とともに100点以上の絵を失った。打ちひしがれていた田崎さんは、父親の勧めで絵を再開、奇跡の一本松を描いたこの絵や大震災で亡くなった人たちを思う「星になった人」など、震災をテーマに4点の絵を描いた。

 岩手県立美術館で開催されたアールブリュットという既存の芸術や流行にとらわれない作品展で、希望の一本松の絵の前に立った私は、以前、ノルウェーオスロ国立美術館で見たエドヴァルド・ムンク「叫び」を連想した。叫びは、赤く染まったフィヨルドの夕景色を前に、恐怖の表情をした男がフェンスによりかかっって両耳に手を当てている姿を描いている。

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 田崎さんの絵も背景が赤で、その前に一本松が立っている。新聞記者の質問に対し、父親は「これまでにない激しい色遣いに驚いた。津波に対する怒りが表れたのだろう」と語ったそうだ。作品の題には「希望」が使われているが、多くの命や大事な作品を奪った津波に対し、田崎さんはムンクと同様、抗議の叫び声を上げたかったのかもしれない。閉塞状況が続く現代日本。叫びたい思いを抱いている人たちは少なくないのではないか。