小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

981 風化してはならない大震災 どじょうの習性は神経質で隠れること 首相との共通項は

画像 東日本大震災からまだ1年3カ月余しか経ていない。大震災は津波被害だけでなく、それによって原発事故が福島の人たちに牙をむいた。原発は人類にとって神の火なのか悪魔の火なのかよく分からなかった。

 しかし東京電力という独占企業が運用していた福島原発の事故は、神の火と思われた原発が大きなほころびをすると悪魔の火になることを実証した。それにもかかわらず、7月1日からは停止していた関電大飯原発3号機が再稼働する。

 津波の最大の被災地、宮城・石巻では津波の猛威を示した「巨大缶詰」の解体作業が6月の最終日のきょう30日から始まった。歴史的な大震災が「風化」へと向かっているのだろうか。 石巻の沿岸部は、津波に襲われ、甚大な被害が出た。水産加工会社、木の屋石巻水産の魚油タンクとして使われていた高さ10・8メートル、容量1千トンの鯨の大和煮のデザインをした巨大缶詰は、300メートルも流され、県道の中央分離帯に横倒しになった。

 全体に赤色で目立つこの巨大缶詰は、大震災の凄まじさを象徴するものとして、保存を求める声も少なくなかったと聞く。一方で、これを見ると津波を思い出すと、撤去してほしいという要望もあったそうだ。 木の屋石巻水産は、流された缶詰を集め、泥を落として再販売したことで知られ、会社を挙げて復興に向けて取り組んでいる。

 その経緯は岸田浩和さんが「缶闘記」という動画にまとめている。 私も石巻に行った際、道路の中央分離帯に横たわる巨大缶詰や泥にまみれた缶詰を洗う人たちの現場を見て、巨大津波のエネルギーに驚き、石巻の人たちの復興への強い思いを感じ取った。それだけに、あの巨大缶詰がどうなるのか、心配でならなかった。

 木の屋石巻水産は、会社に戻し、保存することも考えたというが、その費用が2000万円を要するとのことで、保存を断念して、解体することにしたそうだ。解体した鉄材を利用してテーブルや椅子にするというから、津波に流されながら海の藻屑にならなかった強い運命を持った巨大缶詰は、形を変えて石巻の人たちを支え続けることになるのだ。

 もう長い間、日本から大きなデモが消えて久しいと思っていた。それが昨年から次第に復活しつつある。「脱原発」を求め、首相官邸前に集まった29日・金曜日のデモが、主催者発表で15万―18万人に膨れ上がったそうだ。1万7千人という警視庁の発表は過小過ぎるのではないかと思われるが、このデモに対し、野田首相は「大きな音だね」という感想を漏らしたそうだ。鈍感としか言いようがない。

 政治家は言葉が命のはずだ。自らをどじょうにたとえ、巧みな演説で民主党代表選を勝ち抜き首相になったのだから、官邸前に押し寄せた人たちの様々な声を、庭に出て聞いてみるくらいの度量を示すべきだった。 野田氏は早々に原発事故の収束宣言を出し、大飯原発の再稼働も「国論を2分している」と言いながら、ゴーサインを出した。

 大震災・原発事故はもう過去のことであり、忘れてしまいたい事象なのかもしれない。いまは消費税増税だけで頭がいっぱいなのだ。どじょうは「神経質で環境の変化に敏感、泥の多い水底にもぐって隠れる」習性があるそうだ。いまの野田首相の最近の行動を見ていると、この習性に似ていると思ってしまう。間違っていればいいのだが・・・。