小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

872 北欧の旅・写真編(4)ノルウェー3 オスロ郊外にて

 オスロの郊外にドローバックという人口3700人の小さな街がある。現在は芸術家に愛されるリゾート地だが、この街の近くの「オスカースボルグ要塞」で第二次世界大戦当時、重要な戦いがあったことを知った。

 ドローバックの港から15分ほど船に乗ると、オスカースボルグ要塞がある。1940年、ナチスー・ドイツのノルウェー侵攻の際の重要な舞台になったとガイドが説明する。ドイツ軍は千人の兵を船でオスロへ輸送し、オスロへと侵攻する作戦を立てた。

 これに対しエリクセン大佐率いるノルウェーのオスカースボルグ要塞側は、ドイツ巡洋艦ブリュッヒャーに要塞から激しい砲撃を加えて沈め、ドイツのオスロへの侵攻を遅らせたのだという。 沈没した巡洋艦からはドイツ兵が多数海に投げ出され、かろうじてドローバックまで泳ぎ着いた兵士は、殺されることなく市民が救助し、病院に運んで命を助けたという話も残っている。

 要塞の頑張りは、結果的にドイツ軍のオスロへの侵攻ルートを遮断し、王室、政府、議会、資産を海外(イギリス)に亡命、脱出させるのに十分な時間をもたらした。 その後ノルウェーはドイツに占領され、クヴィスリング政権が、ナチスのかいらい政権として統治するが、ロンドンに亡命政府が設立されたことにより、ノルウェーは第二次大戦中ナチス被占領国としてではなく連合国側に属した。小さな要塞の島は、こうした歴史を伝えていた。

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         (ドローバックの建物は白い壁が目につく)

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          (ドローバックの肝っ玉母さんの像)

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          (海を向いた建物の壁には人魚姫が)

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           (太陽の光を大切にしている人たち)

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               (港にあった標識)

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               (港の家族の彫刻)

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          (サンタクロースグッズ、専門の店)

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             (オスカースボルグ要塞)

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             (オスカースボルグ要塞)

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             (オスカースボルグ要塞)

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 (ノルウェーの英雄、オスカースボルグ要塞を指揮したエリクセン大佐の像) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     

 オスロ郊外のスターヴ教会と呼ばれる木造の教会。12世紀から14世紀にかけてノルウェー国内に約1000棟以上が建てられたが、現存するスターヴ教会は約30棟しかないという。

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