小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

848 鎮魂と復興を祈った仙台七夕 被災地にて

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 夏は祭りの季節でもある。しかし、この夏はいつもとは様相が違っている。東日本大震災によって、多くの祭りや花火大会が中止になった。震災と原発事故によっ て国民の多くが不安な毎日を送ることを余儀なくされ、東北地方の暗雲は依然晴れない。そんな中でも、東北の三大夏祭りは例年通り開かれた。それは「鎮魂と 復興」への思いが込められた夏祭りだった。三大祭りも終わり、東北はお盆=鎮魂の日々を迎える。

  以前、秋田市仙台市に住み、秋田の竿灯と仙台の七夕に親しんだ。東北三大祭りのうち、竿灯と青森のねぶたは「動」の祭りだが、仙台の七夕は「静」の祭り である。それぞれに趣があって、毎年観光客が詰めかける。江戸時代の伊達政宗以来の伝統として、例年なら8月6日から8日までの3日間に、200万人が訪 れる仙台七夕。ことしは震災の影響で人出は例年よりかなり下回ったという。

  宮城県内の被災地は広範だ。七夕を開催した仙台自体も津波で大きな犠牲者が出た。一時七夕の開催が危ぶまれたのは当然だった。しかし震災犠牲者の鎮魂と被 災地の復興を願う市民の思いが開催に結びついたのだという。古今東西、祭りにはいろいろな思いが込められている。

  仙台七夕伊達政宗が女性の文化向上の目 的で奨励したことから盛んになったそうだが、1783年には天明の大飢饉で荒廃した藩の立て直しをするため、藩を挙げて七夕飾りをした歴史があるという。 この大飢饉は日本近世最大いわれ、数年続いた天候不順に加え、岩木山浅間山の噴火で火山灰が降ったため、日照不足になった東北地方を中心に農作物の収穫 が激減し、詳しい統計はないが、数万―数十万人の人が餓えなどで命を落としたといわれる。

  それから228年という時が流れた。この間、仙台の七夕はさびれたり復活を遂げたりという歴史をたどった。そして、未曾有の大震災から約5カ月。東北三 大夏祭りの一角として、仙台七夕は一番町など、繁華街を彩った。3000本の竹飾りが用意され、そこには全国から寄せられた折り鶴や短冊、被災者たちがつ くったという思い思いの吹き流しが翻ったのだ。10個の吹き流しとともに「全世界のみなさんありがとう」という垂れ幕がついた竹飾りは南三陸町の歌津中に 避難している人たちが寄せたものだ。

  京都からは、7月に終わったばかりの祇園祭のお囃子を担当した町衆ら約40人が特別参加した。祇園祭は大津波が東北地 方を襲った貞観(じょうかん)地震(869年)の年に始まったといわれ、災厄がなくなるよう祈る祭りであり、お囃子は被災者への鎮魂の意味が込められてい た。

  仙台七夕開幕の直前、被災地、石巻市を歩いた。市の中心部からがれきはほとんど撤去されていたが、 道路の信号は復旧せず、交通整理の警察官が要所に立っている。再開発予定の商店街は、ほとんどがシャッター通りと化している。海岸に近いかつての住宅街は 建物が残っていても人影は見えない。そんな家々がどこまでも続いている。仙台に次いで宮城県第2の都市である石巻は人口約16万3000人のうち、10万 人が被災した。死者・不明者は6000人を数え、今回の大震災では最大の被害を受けた地域となり、現在も多くのボランティアが支援活動をしている。

  北海道・札幌市のNPOホップ障害者地域生活支援センター社会福祉法人札幌協働福祉会が中心になって障害者や高齢者を病院などに車で無償送迎している 「災害移動支援ボランティアRera」の村島弘子さんは、3・11当時、千葉市の農産会社の研究農場で働いていた。テレビや新聞で報道される被災地の惨状 を見て「役に立ちたい」という思いから、農場をやめて、Reraに飛び込んだ。利用者から感謝の言葉は絶えないが、最近わがままのような言動も見られるよ うになったという。「被災者のみなさんは、これまでは生きるだけで精いっぱいだったと思う。わがままは、復興の証なのです」と、村島さんは話してくれた。

「荒城の月」で知られる仙台市出身の詩人・土井晩翠(1871-1952)が残した作品の中に「希望」(詩集・天地有情)という詩がある。この詩はこんな言葉で結ばれている。

  流るゝ川に言葉《ことば》あり、

 燃ゆる焔に思想《おもひ》あり、

  空行く雲に啓示《さとし》あり、

 夜半の嵐に諌誠《いさめ》あり、

 人の心に希望《のぞみ》あり。

  私なりにこの言葉を大震災に当てはめて解釈すると「大震災は人々のこれまでの行動をいさめ、これからの生き方をさとしている。人は、ことばとおもいでこころにのぞみを持つことができる」と読み取ることができる。

  そして、Reraをはじめとするボランティアの人たち、さらに仙台の七夕や各地の夏祭りは、暗い 淵に立っていた被災者の心を希望へと誘導する一翼を担ったと思うのだ。

 (写真は南三陸の避難所の人たちがつくった七夕飾り