小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

814 福島原発・3つの重い言葉 「闇の中の一筋の光」

画像 知り合いの小学校の校長先生からメールが届いた。東京電力福島第1原子力発電所の1号機が地震直後に炉心溶融メルトダウン)していたことが判明し、高濃度の放射性物質が検出され「計画的避難区域」に指定された飯舘村と川俣町山木屋地区では15日から住民の計画避難が始まるなど、原発事故が深刻度を増している福島からだ。

 その渦中に住む小学生たちが、原発で必死に働く作業員に激励のメッセージカードを届けたというのだ。 添付された一枚には次のように書かれている。

《日本じゅうをまもってくれている人たちへ ちきゅうにいる人たちがみんなをおうえんしています。つらくてもかなしくても、雨がふってもげんぱつにつなみがきても、木がねっこからおれてもきれいなさくらのようにがんばってください。はなわまりあ》

 本文の上にも、絵の中に言葉が添えてあった。

《もしもたいへんなことになっても、きぼうをすてずにがんばってください》

《とおくはなれていても思いはいっしょ。げんぱつにまけないで、がんばってください》

《あなたたちはひさいしゃのやみのなかの、ひとすじのひかりです。きぼうをすてないでください。げんぱつのひとたちへ》

 このメッセージカードを書いたのは、原発から約81キロの福島県矢祭町立東舘小3年生の塙莉愛(まりあ)さん(8つ)だ。同小では12日、2年生から4年 生までの計65人を対象に、過酷な環境の中で事故の収束のために働いている作業員に「感謝とお礼のメッセージを書こう」という授業を行ったという。

 メールをくれた校長の宍戸仙助さんや各学年担当の先生たちが分担して津波原発関係の実情を紹介した。画像 宍戸校長が撮影した、津波で折れたにもかかわらず花が咲いた桜の木の写真(南相馬鹿島町)や津波で流された家の写真が使われ、原発と同小がある矢祭町や飯舘村の位置関係についての説明、南相馬市から避難している2年生の女児の両親が原発関連会社に勤務していること、津波で被災しながらも原発で働いている人たちが いること、作業員らの宿舎になっている体育館の厳しい環境などを詳しく教えたという。

 作業員から教諭の一人に「必ず福島を守ります」というメールが届いたことも付け加えられたそうだ。 授業のあと、子どもたちはメッセージカードを作成したが、塙さんのカードもその一枚だ。宍戸さんはこれについて「カードの上部にある絵の言葉はまだ8歳になったばかりの子どもが書いたとは思えないほどすごい。『命の言葉』のようだ」と記している。

 原発の事故現場で働く作業員はストレスを抱えており、14日には60代の作業員が倒れ、心筋梗塞で亡くなったといニュースも流れたばかりだ。こうした危険な現場で働く作業員には子どもたちからのメッセージは励みになるに違いない。

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 同小では、この授業の前に6年生を対象に放射線専門医を招いて「放射能って、うつるんですか」という特別授業をしたという。3月の卒業式のあとには、 卒業生が原発事故で町内に避難してきた人たちがいる避難所で福島在住ボーカルユニット「GReeeeN」の「遥か」を歌い、故郷を離れた人たちを励ましたという。

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 歌詞にこんな一節があることを知った。

《きづけばいつも誰かに支えられ ここまで歩いた だから今度は自分が 誰かを支えられるように》

《どれだけ寂しくても 僕らは歩き続ける 必ず帰るから 想いが風に舞う あなたの誇りになる いざ行こう》

 原発事故で出口のない迷路に入り込んだような状況にあるフクシマの人たちへのエールと受け止めことができる。宍戸さんは卒業式で「あなたたちは災害に遭った人々や世界中の人々の幸せのために、役立てる人になれるのです。夢と希望を大きく持ち、努力を重ね、人の役に立てる人になってください。それが自分にとっても最高の幸せになるからです」という言葉を卒業生に贈った。

 震災から2カ月余。福島の現地だけでなく、日本国民の多くは収束の見通しが立たない原発事故に不安を抱き続けている。薄っぺらで説得力のない政治家の言葉が横行している昨今、3つのエピソードから、私はひときわ言葉の重みを感じるのである。

 


画像 (写真は、上から順に莉愛さんのメッセージ、幹が折れても咲いた桜の花、津波の被害を受けた2つ家、防護服を着て架線の修理をする作業員たち)