小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

811 風評被害を助長させないで 福島・宮城にて

画像 連休後半に福島と宮城に行ってきた。東日本大震災被災地のボランティア活動を続ける人たちに出会った。同じ東北なのに福島は暖かく、仙台周辺は肌寒かった。菅首相中部電力に対し、浜岡原発の全面停運転中止を要請したと発表したのはこの最中だった。福島の人たちの厳しい現実を聞いただけに、ひときわ原発問題の深刻さを感じた。

 現地の新聞(河北新報)の「3・11大震災応援メッセージ」という特集にこんな投書が載っていた。宮城県の小学校が、修学旅行先に予定していた福島県会津若松市を回避したことに対し、56歳の会社員が「失望と違和感」を覚えたという内容だ。

 この会社員は、「子どもの安全のためとはどんな理屈なのか」と学校側の措置をいぶかり「原発事故現場と会津若松市の距離は仙台市原発間とほぼ同じ100キロほどで、風評被害の片棒を学校が担いでもいいのか」と、嘆いている。 さらに「日本人の強みは助け合いであり、同胞である会津の人たちに示せなくて恥ずかしくはないか、これまで世話になっている会津に対しこのような仕打ちはいかがなものか。会津に行ったら仙台の子どもたちは歓迎を受けるだろう。このような体験こそが宝物の教育になる。風評被害で、宮城県水産物や農産物が拒否される事態が起こるかもしれない。その時、どうするのか。再考して、助け合いの精神を示してほしい」と訴えている。

 原発の事故で福島県から避難した人たちに対し、無理解な言動が続いている。「首都圏で福島ナンバーの車がガソリンの給油を拒否され、レストランへの入店も断られた」「つくば市では転入届けに行った被災者に市の職員が放射能汚染の有無を調べるスクリーニング検査を受けた証明書の提示を求め、抗議を受けて撤回した」「千葉県船橋市では南相馬市から転入した子どもが、放射能がうつるといじめられ福島市に移った」という話は、枚挙にいとまがないほどだ。

 ところで、投書の前提となったのは、4月23日の河北新報に載った「修学旅行先会津回避 宮城の小中学校で変更相次ぐ」という記事だ。春の修学旅行シーズンを控えて宮城県内の小中学校が行き先の再検討に追われ、仙台市立の小学校では計画していた会津への旅行を変更する動きが加速し、85校のうち83校が変更したか、変更を検討しているというのだ。 盛岡に行き先を変更した小学校の校長は「風評と分かっていても、福島と聞くだけで心配する保護者がいる。

 会津は毎回児童を温かく受けいれてくれたのに、お返しできず申し訳ない」と記者に語ったという。大震災被災地の先生たちの気持ちは痛いほど分かる。だが、学校の先生は、教え子を正しく導く義務がある。 それなのに無理解な保護者を恐れて風評被害を助長させるような行為はどうかと思う。

 こんなときにこそ、教師として断固、風評被害に負けない態度を見せるべきなのに何と自信のないことか。これでは、原発から80キロ圏内の日本在住米国人に退避勧告をした米国政府の判断を批判することはできない。投書の主が怒るのも当然だし、私も感情的になり、頭に血が上ってしまった。(写真は惨状が残る被災地)