小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

813 世界遺産へ近づいた平泉 ≪紅葉燃ゆ 旅立つあさ≫を想う

国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)が平泉(文化遺産)と小笠原(自然遺産)を「世界遺産」に登録するよう勧告し、6月には「人類が共有すべき顕著な普遍的価値を持つ遺跡、景観、自然」の仲間入りをする。

平泉は東日本大震災被災地の岩手県にあり、世界遺産指定は震災からの復興のシンボルとして、現地の喜びも大きいようだ。私にとっても、平泉は忘れることができない思い出の地の一つなのである。

作家の瀬戸内寂聴さん(当時51歳)が、平泉の中尊寺で出家、得度式をしたのは37年前の1973年(昭和48)11月14日のことだった。当時仙台に住んでいた。本社のSという名物編集者から瀬戸内さんに会い、得度する心境を聞いてくるよう指示され、車で真夜中に仙台を出て早朝、中尊寺に到着した。

中尊寺の周囲には紅葉が残っていて、美しい晩秋の姿を見せていた。しかし気温は零度近くまで下がっていて、体の震えが止まらない。

Sさんは瀬戸内さんと親交があると聞いていた。早朝、宿坊で瀬戸内さんの関係者に「Sさんの指示で来た」と伝え、名刺を渡した。しばらくして関係者が戻ってきた。「間もなく得度なのでお会いはできないが、この朝の心境を書いたので渡してほしいと言われた」と、小さな紙片をくれた。そこには次のような句が書いてあったのである。

≪紅葉燃ゆ 旅立つあさの 空や寂(じゃく)≫

人生に一つの区切りをつけ、剃髪をする朝の感懐が伝わる句だった。

瀬戸内さんは「50歳を過ぎて、自分の精神にアカがついてきたように思う。ここで自分自身を解体し、新しい自分を探りたいという欲求が日増しに強まり、得度を決心した」という。その後については、ここで書くまでもない。88歳になって体調を崩しているが、最近回復しつつあるという瀬戸内さんは、震災の被災者に向け、新聞や雑誌でメッセージを送り続けている。

地震に大津波、さらに原発事故と追い打ちをかけてくる災害は、地球の終わりを知らされるような怖しさで「無常」という仏教のことばが胸にしみる。しかし「無常」とは同じ状態はつづかないことであり、生き地獄のどん底の状態の日本も被災地の方々もこのどん底から気がつけば、変化していたと気づく日が必ず訪れるはずだ。希望を忘れないでいてください。体がきくようになれば、何でもして少しでも役に立ちたいと今、切実に思っています。 待っていてください≫

この後、真夏に中尊寺を訪れたこともある。せみしぐれの中、汗をかきながら、階段を上った。体の芯から冷え込む寒さの中で、燃えるような紅葉を見上げた晩秋の朝が懐かしかった。仙台を離れてから間もなく36年になる。しかし、あの中尊寺の朝のことは、いまも明瞭に思い出すことができる。では、岩手の人々が心穏やかに中尊寺蝉しぐれに浸ることができるのはいつの日のことになるのか。