小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

772 八百長でどこへ行く大相撲 ショーでもつまらない

 子どものころ、プロレスの力道山の活躍を楽しみにしていた。空手チョップという伝家の宝刀を武器に、悪役レスラーを倒していく。ちょうど始まった街頭テレビの中継には、多くの人が集まった。当時、それがショーの要素が濃い「興行」だとは知らなかった。相手に苦しめられた末に空手チョップを繰り出すという一定の筋書きがあったのだが、ショーとしては、見応えがあったと思う。

  大相撲の八百長メール問題が、相撲協会の屋台骨を揺るがしている。何人かの力士が八百長を認めており、春場所の興行どころか、大相撲の存続さえ危うい事態を迎えている。以前から相撲でも八百長が横行していると週刊誌が書いているが、協会は否定し続けた。今度ばかりはメールという物証があり、そうは問屋が卸さなくなってしまった。

  東京都港区の三分坂という坂の途中に報土寺という浄土宗の寺がある。この寺に強すぎて横綱になれなかったという伝説の雷電為右エ門の墓がある。天明の大飢饉のころに信州(現在の長野県)で生まれ、各界に入った雷電は圧倒的な強さで相手を倒し、勝率は9割6分2厘。史上最強の力士といわれながら、大関のまま引退した。当時の角界は、藩に召抱えられる「男芸者」的な存在であり、なれあいの勝負(藩の意向で勝ちを譲る八百長)が普通だった。

  だが、雷電はそんな慣習を拒否して全精力で相撲を取り続けた。横綱になれなかった原因は、こうした雷電の相撲に対するひた向きさだったという。時代は移って八百長が復活した。国技としてもてはやされた大相撲は、風前の灯だ。

  では、プロレスのように相撲が「ショー」として成り立つのだろうか。朝日新聞スポーツ担当の西村欣也編集委員は「大相撲はスポーツとして成立していたのだろうか。相撲に八百長が絡んでいるとすれば、それはスポーツとは呼ばない。ただの興行でありショーである」と書いている。

  その通りで、体を鍛えたアスリートが全力を尽くして勝敗を争うから見る者に感動を与えるのだ。それがなれあい勝負では感動以前の問題で、ショーとしてもプロレスのような面白さは期待できないから、ファンからも相手にされなくなる。地下に眠る雷電は、いまの角界の右往左往ぶりに、仁王立ちをして怒っているに違いない。