小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

761 ニュースの原点は人間 「英国式事件報道」

画像 以前は、新聞は真っ先に社会面を読んだ。それから1面に戻って2面、3面と順に読み進める。しかし、いつのころからこのやり方が変わり1面から読むようになり、最終面のテレビ欄を除けば、社会面は最後に目を通すことになった。

  面白い記事が少なくなったのがその理由だ。新聞がつまらないのはどういうことなのか。その答えは難しいが、「英国式事件報道」(文藝春秋社)という現役の記者が書いた本を読んで、合点がいく思いがした。

  この本は「なぜ実名にこだわるのか」というサブタイトルが付いている。本を書いた共同通信の澤康臣記者は、社会部記者として事件報道に長く携わり、2006年―07年、英国オックスフォード大学のロイター・ジャーナリズム研究所の客員研究員として留学、英国メディアの事件報道を研究した。

  澤記者の見た英国メディアは徹底して実名報道にこだわり、加害者、被害者双方について微に入り細に入り書きまくる。もちろん、被害者の死体写真も堂々と掲載したりする。このように、日本の報道ぶりとはかなり異なることに澤記者は戸惑う。

  連続売春婦殺人事件など衝撃的な事件を例に、彼は第一線の記者やデスク、英国独自のシステムである新聞出版苦情委員会(PCC)の担当者、警察の広報担当者など幅広い関係者にインタビューを試み、英国式事件報道の在り方の根源にあるものが何なのかを探る。

  知人のベテラン英国人ジャーナリストに聞くと、「日本の新聞はつまらない」と言う。公共放送であるBBCでさえ、徹底した政府批判をやる。NHKのような奥歯に物がはさまった報道はしないというのだ。

  新聞記事にもコクがあり、読みでがある。それと比べると、日本の新聞やテレビは物足らないと映るようだ。澤記者のインタビューに、忙しい合間を縫って答えた英国の大衆紙サンの犯罪担当エディターは「ニュースは人間についてでなければならない」と何度も繰り返したという。さらに「我々は政府に対する最良の監視者であり、野党だ」とも語っている。

  日本の現状をみると、メディアは匿名報道が多くなり、個人情報保護というシステムによって公開の場所から人の名前が消える「匿名社会」になりつつある。

  澤記者はこうした現状に「市民の共感、連帯を妨げる。無関心が蔓延しきるところに匿名社会は完成をみることになるだろう。社会に共に生きるいわば同僚市民への関心や同情も、意見のぶつけ合いや助け合いも育たず、ただ官製の扶助とコントロールに依存する構図が、善意からの『関わらない』デリカシーの果てに暗示されている気がする」と疑問を呈している。

  この本の中で澤記者が書いているように、ほとんどの記者は「人を傷付けたくないと思い、世の中の困っている人の力になりたい、社会をよくしたい」と考えているはずだ。しかし、事件報道をめぐって、書き過ぎだという批判にさらされ、悩んでいるという。そうした記者たちの悩みがブレーキとなり、社会面から生き生きとした記事が少なくなったのだろうか。この本は、そうした記者たちの悩みを代弁し自問自答する澤記者なりの一つの答えのような気がする。