小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

744 昭和政治の裏面史 速記者たちの国会秘録

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 民主党中井洽衆院予算委員長が議会開設120周年の記念式典で、秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」という野次を飛ばしたとして懲罰動議が出された。いまさらながら、国会に常識がなく、品格に欠けた議員が存在することが証明された形だ。

  たまたま菊地正憲著「速記者たちの国会秘録」を読んだ。戦後の国会を裏方・黒子として支えた速記者たちの希有な体験を、元新聞記者の著者が見事に引き出した作品だ。

  国会には衆参両院にそれぞれ速記者養成所があって、国会審議の記録を取る速記者を育てていた。しかし、昨今の録音・録画技術の長足の進歩(デジタル化)で速記者不要論が高まり、既に2つの養成所は生徒募集を中止し、在籍する速記者は少なくなりつつあるという。

 そんな曲がり角にある国会速記を背景に「時代の証言者」としての約40人の速記者と政治家ら計50人に取材し、昭和国会の裏面史としてまとめたのがこの本だ。麻生元首相が未曾有や踏襲という漢字をみぞうゆう(正しくはみぞう)、ふしゅう(同、とうしゅう)と読み違えたことが話題になったが、速記者たちによると、かつて大蔵省幹部が追加予算のことを「おいかよさん」と言い、一万田尚登元蔵相はプラント輸出(大型の機械や生産設備を輸出すること)のことを「プラトン輸出」と発言したことが語り継がれているが、大きな問題にはならなかったという。

  このほか発言者は不明ながら、矛盾を「ほことん」、毛沢東を「けざわひがし」、片山哲(初代の日本社会党委員長)を「かたやまおりぐち」、金融公庫を「ちんゆうちんこ」と言った、笑い話的な発言もあったそうだ。

  この本で初めて知ったが、戦犯を裁いた「東京裁判」の記録を担当したのが衆議院の速記者たちだったという。英文の判決文を翻訳するためにハットリハウス(接収された服部時計店社長宅)で、通訳官が訳した日本語を口述筆記したのも抜擢された5人の腕利き速記者だった。

  東京裁判で、被告人全員無罪を主張したインドのパール判事について、女性の速記者は「精悍な顔つきで、背筋を伸ばしてステキでした。自分の中ではアイドル的存在で、速記席につくとすぐに目が行ってしまう。同じアジア人だからでしょうか、人間味が伝わってきて、安心感を覚えた」と振り返っている。

 「バカヤロウ解散」で有名になった吉田首相の「バカヤロウ」発言についても、担当した速記者が証言している。社会党西村栄一議員との衆院予算委員会でのやりとりの中で、吉田首相が自席に戻る際、小声で「バカヤロウ」「無礼」とつぶやいたのだという。しかし、この発言の際、吉田首相が座っていたのか、座る直前なのか、速記者たちの証言は一致しないという。

  安保闘争当時の国会内の様子についても語られ、さらにこの後に登場した池田首相に続く昭和の首相たちに対する速記者たちの評価も面白い。「いつものどの調子が悪く、何かつかえている感じ」(池田首相、喉頭がんで死去)、「理論がきちんとしていて速記するのは楽な方だが、印象は薄い」(佐藤首相)、「とてつもない早口。頭の回転は特別速いが、数字の間違いもけっこうあった」(田中首相)、「あれとあれがあれでが口癖」(福田首相)、「四国なまりがあり、政府をシェーフと言った(三木首相)―という具合だ。

  話の合間に「アー、ウー」を連発した大平首相は「文章化してみるとほぼ完璧だった」と高い評価を得た。現役首相時代も国会近くの虎ノ門書房で本を買い求め、読書を欠かさなかったという大平氏は傑出した知性派だったのだろう。

  若いころ、国会内の食堂で20代の中曽根首相(当時は平議員)からミカンを差し入れされたという女性速記者の思い出も記され、中曽根氏が著者のインタビューに答えている。

 「質問者、答弁者、それと速記者というのは三位一体の雰囲気を形成していた。手を動かす速記者を見ながらよく考えて発言することで、発言の内容、練度を向上させる効果をもたらした。国会に速記者がいるのといないのでは、発言する方の気持ちが違う。録音機械に任せていては、議員の発言が浅くなってしまう」。中曽根氏が語る速記者の役割である。

  軽い言葉や失言の連続である昨今の国会。デジタル化の弊害といえようか。「日本一、目立つ場所にいる黒子」(著者のあとがきより)たちがいなくなった後、国会はどのような姿に変わっていくのだろうか。