小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

729 出会った後いかに別れるか「ぼくとペダルと始まりの旅」

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「人と人は出会う。しかし大切なのはどうやって別れるかではないだろうか」。米国のロン・マクラーティの小説「ぼくとペダルと始まりの旅」(森田義信訳)は、掛け値なしに面白い。

 主人公のスミシー・アイドはベトナム戦争で負傷したデブの43歳で独身だ。両親を交通事故で失い、父親の遺品の中から長い間消息を絶っていた姉の死亡通知を発見し、自転車でアメリカを横断する長い旅に出る。

 それは長い旅であり、この途中に多くの人と出会ったスミシーは126キロもあった体重も引き締まり、目的地のロサンゼルスに到達し、姉の遺体と対面する。この小説で作者が訴えたかったのは、「人としてどうやって出会った人と別れるか」ではないかと思う。

 日本にも「邂逅」という言葉がある。「人生は巡り会い」なのである。しかし、この小説の作者はこれを一歩進めて「出会ったあとの別れが大切だ」と言っているのだ。 スミシーは最愛の姉の死を知ってふらりと自転車に乗り、それが長い旅となる。心の病を持った姉は、新婚旅行で突然姿を消す。

 そして、路上生活者の末に亡くなり、弟は変わり果てた姉の遺体と対面する。 ダメ男のスミシーが旅の途中に多くの体験をして次第に成長していく。旅の中の出来事と姉の失踪に至るいきさつを交互に書いたこの小説は、人間の再生の物語でもある。

 スミシーが出会った人たちは陰影があってみんな魅力的だ。 中でも、車いす生活を送りながら自立し、スミシーを励まし続ける幼馴染のノーマという女性の存在は、「人との出会いの大切さ」を象徴するものだ。 かつて沢木耕太郎は自分の長い旅の体験を基に「深夜特急」という優れたノンフィクション作品を書いた。

 この作品には、旅の途中で未知の人と出会う楽しみが描かれ、多くの共感を呼んだ。マクラーティの作品はフィクションであり、自転車の旅というスタイルで沢木のものとは違う。しかし「旅はいい」と納得させてくれる出会いが随所に出てくるのだ。そんな思いをした本は、深夜特急以来である。