小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

714 「ローマへの道」紀行(5) 世界遺産守ったドブロブニクの人たち

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 ドブロブニクは、旧市街が世界遺産に指定されている。一周1948メートルの城壁に囲まれた旧市街は、オレンジ色の屋根と白や茶の壁が青空に映え、中世のたたずまいを残している。 だが、19年前の1991年には、独立をめぐる旧ユーゴの内戦で激しい戦火にさらされ、危機に瀕したという。いまはそうした危機がうそのように、街は平和である。

 しかし、フランシスコ修道院の壁には銃弾が貫通した跡が修復されずに残り、その隣の独立記念のミュージアムには内戦で亡くなった128人の男たちの写真が展示されている。亡くなった人が撮影したという写真が館内に設置されたテレビで映し出され、戦闘が激しかったことが分かる。

 現在旧ユーゴは、クロアチアスロベニアボスニアヘルツェゴビナセルビアなど6つの国に分離しているが、チトーの死後クロアチアスロベニアが最初に独立を宣言したことに対し、セルビアなどの連邦軍がこれに反対して内戦になった。クロアチアにも連邦軍が侵攻してきたが、ドブロブニク市民は、世界遺産の街には攻撃はしないだろうと、安心していたそうだ。

 ところが、連邦軍はそんなことはお構いなしに攻めてきた。旧市街をのぞむスルディ山に戦車が配置され、アドリア海には戦艦が入り、山と海から猛烈な攻撃をかけてきたという。特に12月6日には2000発の砲弾が旧市街を直撃、街の7割が被害を受けた。内戦が終わって、街の人々は修復に乗り出し、世界各国からもボランティアが駆け付けたが、修復するのに数年を要した。

 スルディ山にかけられたロープウェーも破壊されたが、最近復旧し、15分並んで私も乗ることができた。旅行社からもらったパンフには、「内戦で破壊され、現在は徒歩のみ」とあるので、ごく最近に復旧したようだ。山頂からの景観は息を止めるくらい見事なもので、ここで激しい戦いがあったとは信じがたい思いだった。

 日本から2人だけでやってきたという若い女性が声を立てて笑いながら写真を撮っている。そんな平和な時代なのである。 山から下りて、1時間半ほどかけてのんびりと城壁めぐりをした。

 城壁は幅2メートルほどの遊歩道があり、ぞろぞろと観光客が歩いている。城内にある高校生が日本語で「こんにちは」と声をかけてくるほどだから、日本人の観光客が多いのだろうと思う。遊歩道散歩を終わって、お茶を飲んでいると、近くのカフェから男たちの歌声が聞こえてきた。

 中年の男たちが7、8人集まってビールを飲みながら歌を歌っている。「ハッピー・バースデー」とやっているので、だれかの誕生日のようだ。一人がギターを持ち、この演奏でクロアチアの歌を歌っている。みんなうまい。その歌声は1時間半近く続いた。どこの国も人たちも歌が好きなのだと思う。街中にこうした歌声が戻るまでに、どれだけの年月がかかったのだろうか。(6回目に続く)

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