小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

710 「ローマへの道」紀行(2) トロッコに乗ってポストイナ鍾乳洞に

画像 鍾乳洞は不思議な空間だ。石灰岩が地下水などによって浸食されて形成されたものだが、スロベニアポストイナ鍾乳洞はトロッコ列車で観光コースまで入るのだから、その規模の大きさが想像できよう。

 全長は27キロというから、日本国内の数ある鍾乳洞よりもスケールは大きい。洋の東西を問わず、人間は怖いもの見たさに集まる。鍾乳洞もそんな人たちでにぎわう。 鍾乳洞=洞窟で思い出すのは、生まれ故郷の山の中にあった洞窟だ。その周辺は、昔から金や水銀が採掘されるというので、山師といわれる男たちがよくやってきた。私の実家にも立ち寄り、文字通りほら話をしていく。

 それが子供心にも面白かった。日本全国を渡り歩いて、一攫千金を夢見ている彼らは、話題が豊富だった。あの山師の話を聞いて旅が好きになったのかもしれない。 しかし、彼らは金鉱を掘り当てることはできなかった。故郷の山にある洞窟は、江戸時代ころに掘られたものらしく、全長数メートルくらいしかない。子どもの背丈より穴は大きく、夏になると、その洞窟を探検に行った。

 涼しいが真っ暗な穴にはコウモリが住み着き、人の気配でバタバタと飛び出す。それがまた不気味であり、遊びに行くのが面白かった。 それはさておき、ポストイナでは穴の中に向かって約2キロトロッコ列車に乗る。この列車がすぐに満席になるのだから、人気が高い鍾乳洞なのだろう。

 画像ロッコを降りると、英語、イタリア語、ドイツ語など5つの言葉のガイドが付いていて、ガイドの説明を聞いてから、彼の後をぞろぞろと歩き出す。規模は違っても鍾乳洞の格好はあまり変わらない。1時間近く遊歩道を歩く。巨岩、奇岩の空間が連続して目の前に現れる。人間のような岩、動物のような岩、それは人によってさまざまな生物に見えるのだろう。 遊歩道には第一次大戦で捕虜になったロシア兵がつくった「ロシア橋」もあるとガイドが説明した。ロシア=ソ連は、第二次大戦で日本兵の多くをシベリアに抑留し、強制労働に従事させている。画像

 一方、日本もタイ・ビルマ国境で捕虜にした英軍兵士を使って泰緬鉄道(たいめん)鉄道を建設した歴史がある。捕虜にも人権があるとジュネーブ条約でうたわれているが、厳密に守っている国があるのだろうか。 約45分の見学の終わりにはコンサートホールという広場があった。反響がよく、ここでコンサートが開催されるのだそうだ。

 そこを抜けると、類人魚ともいわれる盲目の両生類、ホライモリの飼育場がある。画像 肌色の皮膚をしていて「類人魚」ともいう。それがまた不気味だった。未解明の部分が多く、重要な研究材料らしいのだ。 ポストイナの鍾乳洞は、いまも掘り続けられているという。その全容が明らかになるのはいつの日なのか。いまはだれも分からない。