小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1019 トルコの小さな物語(2) 独立の父は大のアルコール好き

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 トルコの独立の父といわれ、国民に敬愛されているのがムスタファ・ケマルである。「トルコの父」を意味する「アタチェルク」と呼ばれる英雄だ。彼は、第一次大戦でドイツと同盟し敗北、占領下に置かれた祖国の独立戦争を指導し、1923年10月、現在のトルコ共和国の建国を果たし、初代大統領になる。

 ジェンキさんによると、トルコの人々はアタチェルクを尊敬し、どの家にも彼の写真が飾ってあるという。今回の旅で訪れたカッパドキアの洞窟の家でも彼の言う通り、目立つ場所にアタチェルクの写真があった。 画像ジェンキさんのトルコに関する解説を少し紹介すると、トルコの人々は98%がイスラムの信者であり、イスラムの国である。  だが、アタチェルクは、イスラムを「国教」とせずに政教分離の国にした。

 酒を飲む人も多く、ラクというブドウを原料としたアルコール度数が45-50度という強い酒もある。アタチェルクはこのラクが大好きで、肝臓病のため57歳で亡くなった。そんな英雄を決して国民は忘れないのだ。 アタチェルクは日本との関わりがある。

 1996年に新潟県にオープンしたテーマパーク「柏崎トルコ文化村」にトルコからお祝いとして馬に乗ったアタチェルクの銅像が贈られ、文化村に設置されたのだ。しかし、テーマパークは経営に行き詰まって閉鎖となり、2007年の中越地震銅像は台座から外されシートにくるんだ状態で保管されていたが、2010年6月にトルコと友好関係を持つ和歌山県串本町に移設された。

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 同町とトルコのかかわりは1890年に遡る。オスマントルコ帝国の軍艦「エルトゥールル号」が明治天皇表敬のため派遣され、トルコに帰国途中の9月16日串本沖で台風のため遭難、500人を超す乗組員が死亡する大惨事になった。この海難事故に対し、地元民総出で救助に当たり、69人を救出、翌年には日本の海軍練習艦が犠牲者の遺品とともに送り届け、日本側の厚意がトルコ国内で大きな話題になった。

 トルコ政府は、イラン・イラク戦争さ中の1985年、テヘランに足止めされた邦人265人のために特別機を出して日本に帰国するのを手伝い、95年ぶりの「お礼」として、ニュースにもなった。長年ロシアに脅かされていたトルコ国民は、日ロ戦争で日本が勝った際にも「よくやってくれた」と喜んだそうで、これも親日的になった一因だという。

 そういえばイスタンブールの街を歩いていて、私も何度も「日本大好き」と声を掛けられた。 アタチェルクが愛したラクをスーパーで買い、試しに飲んでみた。アルコール度数が強いため水で割るのだが、水を入れるとなぜか白くなった。口に含むと甘い味がして私には合わない。

 アタチェルクは祖国の解放戦争で、自国との併合を目指して侵攻してきたギリシャ軍と戦い、勝利した。その奮闘を支えたのがラクだったのかもしれない。

 ジェンキさんは、隣国のギリシャについて国民性が似ていて、食生活も同じだが、政治は2つの島の問題(トルコ近くにあるのにギリシャ領で、レズビアンの語源の元になったレズボス島、ギリシャとトルコ系住民によって2分されたキプロス島)をめぐって対立しており、ジェンキさんは「仲が悪い兄弟みたいなのです」と表現した。(続く)

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写真 1、山の稜線に落ちる夕日  2、洞窟の家のアタチェルクの写真  3、夕日で赤く染まったカッパドキアの山  4、洞窟の家の居間