小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

724 友人たちとの会合 時代を超えて

 小学校、中学校時代の同級生のことは何と呼べばいいのだろう。幼なじみでもある。だから、「ちゃん」や「・・・君」と言い合う。少しこそばゆい気がするが、彼らと会うと、不思議と素直になり、何でも言うことができる。

  夏前に会って以来、そんな幼馴染と久しぶりに会った。一人は、目の手術をしたばかりだったが、私を含め3人は「相変わらず」の気ままな日々を送っている。

  4人の生き方は個性がある。目の手術をした友人は現在もアルバイトとしてクレジット会社の訟務担当をしている。あとは家電メーカー、外資系石油会社、それに私。石油会社OBの友人は「英語で苦労した」と語る。家電OBの友人は、晴耕雨読の日々らしく、今年の野菜の出来は悪かったと言う。

  年数回、彼らと会合を持つ。肩肘を張る必要がないので心待ちにしている。同時進行で年をとるので、お互いの変化にはあまり気付かない。しかし、会話の中で体のどこかに異常が見つかり、手術をしたという話題が出ると、少年時代に戻って昔話をしていたはずなのに、ふと現実に戻る。

  私たちの世代は、戦後の苦しい時期に小中学校時代を送り、その後,高度成長の時代を全く異なる分野の仕事で過ごし、長い間、没交渉だった。再会したのは5、6年前のことだ。久しぶりに同級会があって、顔を出したら、なぜかこの4人で再会を期したのだ。

「光陰矢のごとし」という。月日は早く過ぎるという意味だ。彼らと会う度にこのことわざを思い浮かべる。それは人生の半ば以上を過ぎた多くの人が共通して感じる思いなのかもしれない。

  人は友を求める。いろいろな機会に友を得ることがあるだろう。だが、原点は何と言っても「幼馴染」である。4人の会合で、そんな思いをしながら杯を傾けた。

  帰宅してテレビを見ると、野球の王貞治さんと女優の吉永小百合さんが文化功労章に決まったと報じていた。このニュースを知っていたら、4人の会合はもっと盛り上がったはずだと思う。