小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1598 ある友人の墓碑銘 「一忍」を胸に…

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 9月に亡くなった高校時代の友人の墓に詣でた。千葉県鎌ケ谷市プロ野球日本ハム2軍用の「ファイターズ鎌ヶ谷スタジアム」に近い、自然公園風の美しい墓地である。50段近い階段(足腰の悪い人用にはモノライダーという小さなモノレールのような乗り物がある)を上がると広大な墓地があり、事務所の人の案内で友人の名前が記された赤御影石の墓にたどりついた。その墓石には「一忍」の墓碑銘と2輪のバラの花が彫りこまれていた。一忍とは、何を意味しているのだろう。  

 明治維新の際の戊辰戦争北越戦争)で、新政府軍を苦しめた長岡藩家老として河井継之助の存在はよく知られており、河井は司馬遼太郎の小説『峠』の主人公としても取り上げられている。河井が好んで使ったといわれるのが「一忍可以支百勇 一静可以制百動」(一忍以って百勇を支うべく 一静以って百動を制すべし)という言葉で、友人はこの冒頭の文字「一忍」を自分の墓に使ったようだ。  

 中国・宋時代の詩を引用したこの言葉は「多くの人たちを支えるために自分は耐え忍ぶことが必要で、さらに多くの人を動かすために静かに見守るという信念も持たなければならない」と解釈することができる。要はリーダーとしての心構えを説いたものといえるだろう。友人はなぜこの言葉に惹かれたのだろう。友人は会社員として働いたあと中年になって、小規模ながら会社を興した。会社経営は順調の時もあれば、荒波に直面した時もあっただろう。友人はそんな日々、この言葉をかみしめながら会社のかじを取り続けたに違いない。  

 友人は高校時代応援団長を務め、人の面倒をみることに長けていた。後年、彼は同級会の常任幹事となり、数年おきに同級会を開いてきた。ことしの秋も彼が発起人となって10月下旬の会合が計画されていた。だが、夏前に体調不良で入院した彼は末期の肺がんと診断され、9月16日夜に息を引き取った。「一忍」の思いを持ち続けた友人らしい最期だったかもしれない。  さまざまな世界でリーダーがいる。そのうち日本政界のリーダーの行動は、この言葉とは無縁のように思えてならない。

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写真 1、階段の横にはモノライダー乗り場がある2、友人が眠る公園墓地

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