小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

680 記録されたものしか記憶にとどめられない 「宮本常一が見た日本」

画像 民俗学者宮本常一の生涯をたどった「旅する巨人」で大宅ノンフィクション賞を受賞した佐野眞一があらためて、宮本が歩いた地方を取材したのがこの本だ。 宮本は自分の足で歩き、自分の目で見た地方の実情(昔と今)をおびただしい記録として残した。写真も少なくないという。

 そんな宮本について、佐野はこう位置付ける。

 ―宮本の残した巨大な足跡をたどりながら、私は単に古いことを調べる民俗学者というよりは、より広いフィールドを設定し、その分野を徹底的に足を使って調べる傑出したノンフィクション作家という思いをつのらせていった。そして、現代においてすぐれたノンフィクションは、すぐれた民俗学になる、という確信をもつに至った。―

 宮本には「忘れられた日本人」という名著がある。この中の「土佐源氏」という作品は、宮本だからこそ取材できたのではないかと思う。土佐源氏を含め、この本は、ノンフィクションの傑作といっていいからだ。

 宮本を「ノンフィクション作家の大先達」と思う佐野は、自分もノンフィクションを書き続ける作家として「そうであるならば、私こそ宮本の精神を継承すべきではないか。(略)それは、宮本のつくった精巧な地図を手掛かりにして、窒息した現代社会の俯瞰図と、いまという時代に生きる人びとの心の間に分けいる精緻な地図をつくることではなかろうか」と、課題を課している。

 この思いに沿った作品が、さらに生まれることを待ちたい。 佐野は、晩年宮本が残した「記憶されたものだけが、記録にとどめられる」という言葉が紹介し、この言葉を反転して、ノンフィクションを書く際の座右の銘にしていると書いている。

「記録されたものしか、記憶にとどめられない」。言い得て妙である。 この本の解説を書いた写真家の橋口譲二は「宝の山のようにある宮本さんの言葉で僕の身体に残ったことを記したい」と、次の言葉を記している。 「不文の約束ごとが守られることで民衆の社会は成り立つものである。人が人を信じられるのである。見知らぬ人をもそのことによって信じることができた」。迷走を続ける昨今の民主党政権を担う人たちに知ってほしい言葉である。